23ある安息日に、イエスが麦畑を通って行かれると、弟子たちは歩きながら麦の穂を摘み始めた。 24ファリサイ派の人々がイエスに、「御覧なさい。なぜ、彼らは安息日にしてはならないことをするのか」と言った。 25イエスは言われた。「ダビデが、自分も供の者たちも、食べ物がなくて空腹だったときに何をしたか、一度も読んだことがないのか。 26アビアタルが大祭司であったとき、ダビデは神の家に入り、祭司のほかにはだれも食べてはならない供えのパンを食べ、一緒にいた者たちにも与えたではないか。」 27そして更に言われた。「安息日は、人のために定められた。人が安息日のためにあるのではない。 28だから、人の子は安息日の主でもある。」
マルコは、イエスさまがガリラヤに現れて「神の国」の福音を宣べ伝える活動を始めたことを第1章で語った直後、その福音と当時のユダヤ教との衝突が激しい論争を巻き起こしたことを第2章にまとめて記しています。その論争の最後が安息日についての論争です。安息日順守は当時のユダヤ教の性格を示す典型的な律法で、この一件は、次の段落(3章1-6)が示すように、イエスさまを死に追いやる直接の原因となります。
《安息日を心に留め、これを聖別せよ》
(出エジプト20章7)という規定は、ユダヤ教の律法の中で最も根本的な「モーセの十戒」の中の一つで、その内容は《六日の間働いて、あなたの仕事をし、七日目は、あなたの神、主の安息であるから、いかなる仕事もしてはならない》
(出エジプト20章8-10)というものです。これは《殺してはならない》
(出エジプト20章13)と同等に重きを置かれた律法であって、《これを汚す者は死刑に処せられる》
(エジプト31章14)と明記されています。
実際に死刑が行われたかは不明ですが、この明文規定の存在そのものが、イスラエルの民が安息日の順守をどれほど真剣に受け止めていたかを示しています。安息日を守る者が神の民であり、守らずこれを汚す者は神との契約を破る者とされました。安息日は聖なる日であって、神とイスラエルとの間の「代々にわたる永遠の契約」(出エジプト31章16)のしるしだからです。
社会や生活の具体的な状況において「いかなる仕事もしてはならない」をどのように守るか、安息日の律法が確立した後も、律法学者たちによって多くの細かい規定が生み出されました。イエスさまの時代には「安息日にしてはならないこと」を定めた禁止「主要労働表」が39項目もあって、日常生活の隅ずみにまで及んでいたのです。
安息日に2,000キュビト(約900メートル)以上を移動することは禁じられていましたが、イエスさまと弟子たちが麦畑を歩いて行ったことは問題にされず、弟子たちが麦の穂を摘んだことが問題にされました。他人の畑であっても麦の穂を手で摘んで食べることは許されていました(申命記23章25)。問題は、手で穂を摘むことが収穫作業であるとして、律法学者たちの口伝伝承で「安息日にしてはならないこと」に数えられていたのです。イエスさまも弟子たちもそれを知りながら、批判者の面前であえて禁止規定を無視して穂を摘んだところに、当時のユダヤ教における律法の支配に対するイエスさまの挑戦が見られます。
《彼らはなぜ、安息日にしてはならないことをするのか》
(24)と詰問するファリサイ派に対して、イエスさまは旧約聖書に記されているダビデの行為を引用して反論しました。「大祭司アビアタルの時」とあるのは「祭司アヒメレク」の記憶違いです(サムエル上21章1-6、アビアタルはアヒメレクの子)。個人が聖書全巻を持つことはできなかった時代のことですから、聖書を引用しての議論もその細部をいちいち文献で確認して論じるというような学者の議論ではなく、ダビデが《祭司のほかはだれも食べてはならない供えのパンを食べ、一緒にいた者たちにも与えた》
(26)」という事実を論敵に突き付けるだけで十分でした。
イエスさまがこの律法に反したダビデの行為を引用したのは、律法の存在理由そのものを論じるためです。いったい人間にとって律法とは何なのか、イエスさまは一言でその本質を言い当てます。《安息日は、人のために定められた。人が安息日のためにあるのではない》
(27)。
七日目に仕事を休むという習慣ないし制度はモーセ律法よりも古いものですが、イスラエルでは神とイスラエルとの契約関係の基礎となる制度としてモーセ律法に取り入れられました。
申命記の「十戒」では安息日はこのように規定されています。《あなたがたはかつてエジプトの地で奴隷であったが、あなたの神、主が強い手と腕を伸ばして、あなたを導き出されたことを思い起こさねばならない。そのために、あなたの神、主は安息日を守るよう命じたのである》
(申命5章15)。
前後の文脈からすれば、これはイスラエル自身がエジプトで奴隷であったことを覚え、奴隷たちにも休息を与えるよう促すものですが、それは同時に、イスラエルが奴隷の境遇から救い出されたのはただ神の働きによるのであって、人間の側の働きは何もなかったという事実を思い起させます。「それゆえ」、安息日を守るのは自分たちが贖われて神の民として存在しているのは、ただ神の働きによるのであって自分の働きは何もないことを確認し、神だけをほめ称えるためです。安息日は神の一方的な贖いのみ業を祝う祝祭の日なのです。
出エジプト記の「十戒」では、《六日の間に主は天と地と海とそこにあるすべてのものを造り、七日目に休まれたから、主は安息日を祝福して聖別されたのである》
(20章11)、と言われています。安息日は創造の完成を祝う祝祭です。ここでも人間は自分の手の業をいっさい休んで、ただ神の創造の業によって自分と世界が存在することを喜び感謝し、同時にやがて終末の時には神の創造の業は完成して栄光の中に顕れることをほめ称えるのです。
このように、安息日は本来まことに喜ばしい神と人との祝祭の日なのです。創造と贖いと完成を祝う喜びの日です。神はそのように、人間が神の前に自分の存在を喜び祝う日として安息日を定めました。まさに「安息日は、人のために定められた」のです。それがいつの間にか変質して、イエスさまの時代には「これはしてはならない。あれはしてはならない」という規則に人間が縛られる日になってしまっていました。
どうしてこのような倒錯が起こったのでしょうか。それは、イスラエル(神の民)が神との契約関係に正しく留まっていなかったからです。神はアブラハムの子孫をエジプトの奴隷の家から救い出して御自分の民とされました。彼らが神の民となったのは、彼らにそうなるだけの価値があったからではなく、ただ神が彼らを選ばれたからであり、ただ神の働きによって解放されたからです。神との関わりはひたすら神の恵みに基づいているのです。契約の条項である「十戒」もこの無条件の恵みの中で与えられています。それは「あなたがたはわたしの恵みによって選ばれ救われてわたしに属する民となったのであるから、このようなことはしない」という恵みの言葉です。ところが、イスラエルはその「十戒」とそれに基づくすべての律法を、それを自分が行うことによって神との関係を造り出す手掛りに変えてしまいました。それはすべてのことにおいて、神との関係においても自分が主人になろうとする人間の傲りがもたらした悲劇です。本来神の恵みによって人間の喜びのために賜った祝祭の日を、「仕事をしない」という定めを守ることによって神との関係を確立する努力の日にしてしまい、それを破る者への処罰を恐れて「これはしてはならない。あれもしてはならない」という細かい規定に縛られるようになったのです。
このような状況において、イエスさまの《安息日は、人のために定められた。人が安息日のためにあるのではない》
(27)という言葉はまことに革新的です。イエスさまは、当時のユダヤ教が求めているような律法順守はもはや必要ではないと言っているのです。
《だから、人の子は安息日の主でもある》
(28)。人間は安息日のために造られたのではない。人間のために安息日の制度が定められたのです。そうであるならば、終わりの日に人間が本来の姿に回復されるとき、人間はもはや安息日律法に縛られた奴隷ではなく、安息日の定めを自分の内に成就している者となり、その主人となるでしょう。イエスさまはこのように終わりの日に出現する新しい人間を先取りし代表する者として、ご自身を「人の子」と言い表します。「人の子」イエスさまは聖霊による神との交わりの中ですでに「安息日の主」になっています。しかしこれはイエスさまだけのことではなく、やがてイエス・キリストにあって贖われ、同じ聖霊の現実に生きるようになる新しい人間すべてに成就することです。今や人間はユダヤ教の規定には縛られていません。キリストにあって創造と贖いと完成の喜びの祝祭である安息日を毎日祝っています。それをどのように表現するかは人間の自由です。人間は安息日の主人なのです。
イエスさまは私たちに本来の安息日の意味を取り戻してくださいました。キリスト教会はユダヤ教の安息日を廃して、イエスさまが復活された週の第一日を「聖日」として祝うようになりましたが、安息日の根本的な考え方を引き継ぎました。私たちは、きょう学んだ「聖日」を守ることの意義をしっかりと保持していきましょう。
祈りましょう。天の父なる神さま。み子イエスさまが主の日ごとに私たちを礼拝へと招き、ただ神の恵みによって与えられる安息にあずからせてくださることに感謝いたします。聖霊を送って、御言葉と聖餐によって私たちを豊かに養ってください。救い主、イエス・キリストのみ名によって祈ります。アーメン
© Sola Gratia.
powered by freo.