Sola Gratia

金時鍾『朝鮮と日本に生きる』

今年11月初旬に私たちの教団の3年毎に開かれる教職者会(牧師会)が韓国済州島で開かれます。この時期と場所は、韓国の牧師会と交流する都合があって決まりました。全日程を合同で開くのではなくて、それぞれが独自のプログラムで行いながら、日程の一部に合同の交流プログラムを組み込むのです。

私たちの教職者会は今回の会のテーマを「済州島で平和問題について考える」とし、そのための課題図書としてこの本が指定されました。韓国の牧師会はこのテーマには乗れなかったそうです。そもそも牧師会間の交流は来年の宗教改革500年の記念行事の一環として企画されたのですから、彼らが別のテーマで集まることに不思議はありません。

さて、済州島四・三事件については、若いころに韓国の現代史の本とか小説で読んでいましたから、記憶を新たにしようという程度の思いで読み始めました。しかし、頁を開いてみると感触が違いました。この本は書名が表しているように、四・三事件に関わったのち日本に逃れてきた著者の自分史です。内容は重いものですけれども、著者の一途な人柄と高い筆力によるのでしょう、温かく軽やかな筆致にたちまち引き込まれました。

書かれている事柄は次のようです。植民地における皇国少年として育った著者は、16才のときに日本の敗戦を経験します。植民地解放を境に、たちまち朝鮮民族としての自尊心に目覚め、母国語の習得や国民としての課題を意欲的に学び始めます。そして国の統一と独立を志向し、米ソによる分割統治に反対する運動に加わり、やがて非合法化された活動に献身するようになります。そして運命の、三・一節記念集会から四・三事件へと奮闘を続けますが、地下活動も追い詰められて、ついに済州島を脱出、日本に密航することになります。済州島では28万人の人口の1割が犠牲者となったと推計されています。行き着いた先は大阪の猪飼野でした。日本でも朝鮮人学校の再建や、朝鮮戦争と戦争協力に反対する活動に挺身するのですが、北朝鮮との路線の違いから居場所を失い、詩作に自分の道を見出します。そして金大中氏が大統領に就任した年に49年ぶりに済州島に訪れ、両親の墓参を果たします。その後、朝鮮籍から韓国籍に替えたことを記して、この回想録を終わります。

こう著者の歩みを要約してみても、この本の魅力が何も伝わらないと思いますが、私は平和な社会、民主的な社会を目指して命の危険に身をさらして一心に生きてきた著者に心を打たれました。それにしても80才の半ば近くにやっとこれを書けたことの中にこの世の闇の深さを思わされます。

日本の信託統治においても、戦時中に平和や民主化に努力した人たちが名誉回復されるどころか、かえって戦犯とも思しき人たちが重用されて幅を利かせる社会に逆戻りしてしまって、残念な思いをしました。同じように、韓国の戦後統治においても日本の植民地支配に加担した親日派の人たちが米軍に重用されて、民主勢力を暴力をもって叩きつぶしたのでした。韓国民にとっては日本が敗退したあとでも同胞の親日派による支配が復興し、持続したのでした。今日においても韓国民が過剰とも思える反日的な言動や論調になびき易い理由は、占領下だけでなく戦後のこうした事情もあるのではないかと考えました。日本人は彼らのそうした心情を受けとめて振る舞うべきではないでしょうか。私はこの本を読んで、日韓の友好関係の在り方についてもう少し学ぼうと思いました。


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