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新約聖書の中のアラム語

1. 新約聖書の中のアラム語(アラマイ語)について

数週前に読んだ福音書に「タリタ・クム」(少女よ、起きなさい)というアラム語がありましたが、今週の福音書にも「エッファタ」(開け)というアラム語が出て来ました。新約聖書の原典は当時の世界の共通語であったギリシア語で書かれています。それで、アラム語が分からない人々のためにそのギリシア語訳が書かれています。イエスさまご自身が話したこれらアラム語の言葉が新約聖書の中に残ったのは、それが弟子たちにとって忘れがたい印象深い出来事だったためでしょう。

ただし、イエスさまのふだんの話し言葉(日常語)は、アラム語ではなく、たとえアラム語が混ざることがあっても、ヘブル語だったと考える学者もいます。

2. 新約聖書に残るアラム語の例

タリタ・クムマルコ5:41少女よ、起きなさい
エッファタマルコ7:34開け
アッバマルコ14:36父よ
エロイ、エロイ、
レマ、サバクタニ
マルコ15:34わが神、わが神、なぜわたしを
お見捨てになったのですか
ラボニヨハネ20:16先生
マラナ・タⅠコリント16:22主よ、来てください
マモンマタイ6:24、
ルカ16:13
富(神と富とに仕えることはできない)
ラカマタイ5:22ばか
バルトロマイ
(人名)
マタイ10:3タルマイの子
バルヨナマタイ16:17ヨナの子(シモン・バルヨナ)
バラバマタイ27:16父の子(バラバの父はラビだった?)
バルティマイマルコ10:46ティマイ(汚れた者)の子
バルナバ使徒4:36慰めの子(本名はヨセフ)
ボアネルゲ
(あだ名)
マルコ3:17雷の子ら
ケファヨハネ1:42岩(ギ、ペトロ)
トマスヨハネ11:16双子(ギ、ディディモ)
タビタ使徒9:36かもしか(ギ、ドルカス)
ゲツセマネ(地名)マタイ26:36、
マルコ14:32
(オリーブの)油しぼり
ゴルゴタマルコ15:22、
ヨハネ19:22
されこうべ
ガバタヨハネ19:13敷石(ヘブライ語と書かれているが
実はアラム語)
アケルダマ使徒1:19血の土地(畑)

3. ユダヤ人の日常語がなぜアラム語に?

ユダヤ人はもとはヘブル語(ヘブライ語)を話していたのですが、バビロニア帝国によってユダ王国が滅ぼされると、指導層の人たち3000人がバビロンに捕虜として強制移住させられました。そして、ついに紀元前586年には神殿も破壊されました。その後、捕囚された人々も地元に残った庶民も次第に当時の国際共通語であったアラム語を話すようになっていきます。のちにはついにヘブル語は死語となり、話し言葉としては使われず、ただ書き言葉として残る宗教語になりました。

旧約聖書のほとんどの文書はヘブル語で書かれていますが、すでにエズラ書やダニエル書の一部などはアラム語で書かれています。もともとヘブル語はアラム語と同族の言葉で、聖書はアラム文字を使って書かれています。

聖書では、ノアの長男セムの子、アラムがアラム人の先祖となりました(創世10:22)。また、アラムはイエスさまの先祖のひとりでアミナダブの父(マタイ1:3、4)とされています。そして、モーセも、イスラエルの民に説教し、約束の地に入ったならば、収穫初物を神にささげ、「わたしの先祖は、滅びゆく一アラム人であり・・」(申命記26:5)と信仰を表明せよと命じています。

この亡国の経験の中で神理解が深まり、「古代イスラエル宗教」は民族宗教から唯一神教へと、律法を重視する「ユダヤ教」へと変わっていきます。旧約聖書の諸書が書かれていきます。このことが、のちに離散して諸外国に住むユダヤ人たちがイスラエル民族としての一体性を失わない支えとなりました。

紀元前539年、捕囚から50年して、ペルシアがバビロニアを滅ぼし、ペルシア王キュロス2世はユダヤ人たちを解放して、故国に戻る許可を与えました。ユダヤに帰還した人々は、神殿(第二神殿)を再建し、聖書を整えるとともに、各地に会堂を建てて礼拝を守ります。人々はヘブル語を理解できなくなっていたので、その礼拝では、ヘブル語で聖書が読まれたあと、アラム語で解説されました(ネヘミヤ8:8)。当初は聖書に並ぶものとは認められませんでしたが、それからずっとのちに、アラム語に翻訳されたものが、ヘブル語本文と並べられた対訳聖書ができました。「タルグム」(翻訳という意味)と呼ばれます。

ちなみに、紀元前334年、ギリシア人であるマケドニアのアレクサンドロス大王の東方遠征によってペルシア帝国は滅亡し、地中海一帯の共通語はギリシア語に取って換わられ、諸外国に住むユダヤ人たちがギリシア語を話すようになり、旧約聖書はギリシア語にも翻訳されます。これは「七十人訳聖書」と呼ばれます。新約聖書の中に引用される旧約聖書は、この「七十人訳聖書」(セプトゥアギンタとも呼ばれます)の場合が多いです。新約聖書もギリシア語で書かれることになります。

4. セム系の民族とアラム語について

アラムは今のシリアですが、ここは世界で最も古い歴史をもつ土地です。昔はより広い範囲を意味していました。メソポタミアからパレスチナにかけての遊牧民をアッシリア人たちがアラム人と呼んだのです。アッシリアは紀元前735年にエジプトを含めてこの地域全体を最初に統一した帝国です。前722年に北イスラエル王国を滅ぼしました。アッシリアの時代にユダの支配層がアラム語を解したことが、列王記下18:26-28に見られます。

古代オリエントで最初に興った文明が、メソポタミア文明です。現在のイラクに当たる地域には、ティグリス川とユーフラテス川という2つの大河があり、非常に豊かな土壌が広がっていました。メソポタミアはギリシア語で「川の間の地域」という意味です。このメソポタミアからシリアやパレスチナなどの地中海東岸の地域を「肥沃な三日月地帯」といいますが、ここでセム系の遊牧民が最初の農耕・牧畜を始めたと考えられています。

アラム人は、アラビア半島から出現した遊牧民でしたが、紀元前11世紀頃までに、ユーフラテス川上流に定住しました。その後、シリアに進出して、ダマスカスがアラム人勢力の中心です。彼らはラクダを用いてシリア砂漠などを舞台に隊商貿易を行ったが、その後さらに交易網を拡大し、古代オリエント世界に商業語としての古代アラム語を定着させました。また、シリア沿岸部のフェニキア人が用いていたフェニキア文字(音素文字、アルファベットの元祖)からアラム文字が作られ、その後に続くアッシリア帝国、新バビロニア、アケメネス朝ペルシア帝国などの大帝国でもアラム語が使われ、国際共通語としての地位を確立しました(右から左に書きます)。


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