Sola Gratia

宗教改革の精神

プロテスタントの諸教派はそれぞれに個性を持っていますけれど、プロテスタントに共通する精神があります。その共通の精神についての説明は、次の三通りがあります。1.形式原理と内容原理という二項目で説明する。2.信仰義認、聖書主義、万人祭司(正しくは全信徒祭司性)の三項目で説明する。3.恵みのみ、信仰のみ、聖書のみの三つの「のみ」で説明する。以下、それぞれについて触れていきます。

1. 形式原理と内容原理

物事は形式があって、内容があって成り立ちます。宗教改革の形式原理とは、「聖書のみ」とか「聖書主義」と呼ばれるものです。簡単に言うと、「聖書は唯一絶対の神の言葉であり、信仰と生活の規準として信ずる」ということです。私たちの信仰と行為の基準は、教会の伝統や教えにあるのではなく、ただ「聖書のみ」にあるということです。ルターは、教皇も教会会議も最終的な権威ではなく、教会におけるすべての権威の上に聖書の権威を置き、聖書の権威に服すべきであると主張しました。しかし、当時、聖書の権威は教会の権威に勝ると主張する者は異端とされたのです。カトリック教会は聖書が神の言葉であることを認めますが、聖書が唯一の権威であることには同意しません。

内容原理とは、教会の唯一の権威である聖書の内容はいったい何かということです。それは「信仰のみ」ということです。当時の教会は善き行い、功績によって救われると言いますが、そうではなくて、ただ信仰によってのみ神に義とされる(救われる)ということです。これを「信仰義認」の教えと言います。これは、言い換えると、神の「恵み」によって救われるのであって、人間の業や功績によるのではないということです。救いはただ神の恵みにより信仰を通して与えられるのであって、人間に救いの条件は付けないという教えです。ルターは、この信仰義認の教えは「教会が立つか、倒れるかの条項」だと言います。

2. 信仰義認、聖書主義、全信徒祭司性

この三項目で説明する仕方は、歴史の教科書などでよく用いられていると思います。信仰義認とは内容原理のことであり、聖書主義とは形式原理のことです。要するに、2は1に、全信徒祭司性を加えて説明するものです。

全信徒祭司性は、かつて「万人祭司主義」と呼ばれました。これは、人は神の前に平等であり、信仰者はみな、神の民であり、祭司であるという教えです。当時の教会は聖職者と平信徒を区別し、神と人とを仲立ちする特別な職務はもっぱら聖職者(司祭)に委ねていましたが、ルターはこれを聖書的な理解へと戻し、聖職者と平信徒の区別なしに、すべての信徒が神の前で平等であることを強調しました。プロテスタントでは様々な職業や立場のままで、自ら聖書を拠り所として、自らの良心に従って信仰することが可能になりました。すべての信徒は自ら神に祈り、互いにみ言葉をもって慰め合うことができるということです。

3. 信仰のみ、恵みのみ、聖書のみ

この3は1に「恵みのみ」を加えたものです。「恵みによってのみ」救われることは、「信仰によってのみ」救われるという信仰義認の教えの中に含まれているのですが、信仰は神の恵みによって生ずることから、神の「恵み」を特別に強調するものです。ルーテル教会はこの分類法を好む傾向があるように思います。

以上をまとめると、「信仰のみ」というのは《救いの手段》について述べます。救われるための手段は、ただ「信仰のみ」であって、「行い」ではないということです。「信仰のみ」とは、キリストの十字架によってすべての人類に提供された神の恵みを自らに適用する手段は信仰のみであるということで、決して私たちの善き業が私たちを救うのではないということです。「聖書のみ」というのは《救いの教え》について述べます。この救いについての教えの絶対的な根拠は、教会の公会議や神学者たちの言説に求めるべきではなくて、ただ「聖書のみ」に求めるべきであるということです。そして、「恵みのみ」というのは《救いの性質》について述べます。この救いは、救いに値する功績への「報酬」ではなくて、ただ「恵み」として与えられるということです。「恵みのみ」とは、罪人の救いの根拠は、ただ神の恵みのみにあるということで、教会の権威にあるのではないということです。救いはただ神の恵みによるもので、罪びとたる人によりなされるものではなく、ただキリストによる神からの賜物であると教えます。これはカトリック教会の教えと対立することになって、激しい論議を呼ぶことになりました。その理由は、この教えは倫理を破壊して無秩序と混乱を生む考えであるからということでした。

ルターという人は修道院で自分の罪に悩み、「罪人である私はどうしたら救われるだろうか」と問い、激しい葛藤の中で回心してイエス・キリストを信じることによってのみ義とされるという救いを発見した人です。「恵みのみ」ということは、ルーテル教会の教えの中心です。


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