Sola Gratia

多摩平とA.R.ストーン宣教師

西東京ルーテル教会から招聘を受けたとき、教会が所在する多摩平がどんな土地柄か何も知らずに赴任しました。多摩平は中央線豊田駅の北口に広がる地域です。

私は「多摩平の森」の大きな樹木に沿った道が好きで、愛犬と共に日々散歩しています。森の入口に案内板があります。それまで素通りしていましたが、先日、立ち止まって案内を読んで、この土地はカナダからの宣教師ストーン先生と深い関わりがあることを知りました。ストーン先生について調べてみました。当地に住む人たちには周知のことなのでしょうが、このページを読む方々には私と同じく初耳かもしれません。

ストーン先生(Alfred Russell Stone, 1895年2月21日~1954年9月26日)はカナダ生まれですが、両親はアイルランドからの移民農民でした。1926(大正15/昭和1)年9月にメソジスト派の宣教師として来日し、長野県で農民の生活を支援しながら伝道をします。戦時色が濃くなった1941(昭和16)年にいったん帰国します。カナダ帰国中には、太平洋戦争で敵性国民として拘留された日系カナダ人のために尽力しました。戦後、1946(昭和21)年に再来日。今度は、日本の復興のために全国を走り回ります。多忙な身であったストーンが短い夏期休暇を家族と過ごしたのも、また、長野県の野尻湖畔でした。現在、野尻湖のほとりに記念碑があるそうです。

戦後、再来日したストーン先生は農村伝道の拠点を探し回るうちに、カナダの故郷を思わせる美しい森に出会います。それが「多摩平の森」です。この樹林は、もともと大正天皇の御料地として宮内庁が造林した森でした。彼は、この地の開拓伝道に力を入れ、1948(昭和23)年、日野台教会を設立し、また、農村伝道のために中央農村教化研究所(現在は町田市にある農村伝道神学校)を設立しました。その開所式は、教会へと続くユリノキ並木と満開の桜の中で行なわれたそうです。

日本キリスト教団では1954(昭和29)年に「北海道特別開拓伝道委員会」が組織され、10年にわたる北海道の特別開拓伝道が進められることになり、ストーン先生はこの伝道の働きを担うために北海道に居を移して赴任。同年9月、東京で開かれるその委員会に出席するために、函館から青森に向かう青函連絡船の洞爺丸に乗り、台風に遭遇して52歳で天に召されました。証言者によると、嵐の最中乗客を慰め、船が沈む直前自分のライフ・ジャケットを若者に与えたといいます。のちに、作家の三浦綾子さんの小説「氷点」の中で、洞爺丸に乗り合わせた主人公辻口啓造に救命胴衣を手渡す宣教師が登場しますが、その宣教師がストーン先生です。先生は青山外人墓地に葬られているそうです。死後に、勲五等双光旭日章を受賞しています。新堀邦司 著『海のレクイエム:宣教師A.R.ストーンの生涯』が日本基督教団出版局から1989年に出版されています。

ところで、「多摩平の森」ですが、1956(昭和31)年から始まった団地建設で、この土地は「多摩平団地自然公園」として保存されてきました。40年後の1997(平成9)年から始まった老朽化団地の建て替え計画で、この土地は「多摩平の森」として残されています。

(改訂: 2015-06-29)


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