Sola Gratia

牧師のプロフィール(旧)

西東京ルーテル教会の牧師(注: 2016年当時) 高野 公雄 (たかの きみお)です。この場で、少し自己紹介を書かせていただきます。

以前は大田区池上の教会にいましたが、2015年4月にこの教会に移ってきました。教会堂の二階が牧師家族の住まいとなっています。妻と次女とトイプードルと共に暮らしています。よろしくお願いします。

ちなみに、この教会の建物はお寺みたいな雰囲気がありますが、その通りで元は大恩寺という浄土真宗本願寺派のお寺でした。お寺が八王子市寺田町に移転したあと、1996年4月に私たちの教会が入居したのです。多摩モノレールの建設と立川駅北口のコンコースの建設にともなって、立川駅前から立ち退くことになったためです。その多摩モノレールは1998年に部分的ですが運行を始めました。

立川市にあった教会が日野市に移って活動を始めたとき、アメリカ人のゴーイング夫妻が英会話を教えながら、信徒のボランティアとして教会活動に加わってくれました。トムとデビといいました。このホームページの表紙を飾っているスケッチは、そのデビ夫人が教会の建物を描いてくれたものです。

さて、私は1970年3月に三鷹市大沢にある 日本ルーテル神学校 を卒業して、当時27歳で牧師の資格を与えられました。すぐに、4月から 小樽オリーブ・ルーテル教会 で牧師としてのキャリアを始めて、いまや46年目となりました。

今はどうか分かりませんが、私が神学生の当時は、学生の間は独身であれ、牧師となったら妻帯者であれ、という指針がありました。でも、私は最終学年のときに結婚しました。ちょっとフライングしてしまいました。

話しは前後しますが、私は横浜市に生まれ育ちました。1960年に高校を卒業して大学に入ったのですが、安保闘争が終わった年で、学生運動はばらばら、学園は「内ゲバ」という学生の分派どうしの抗争の場になっていました。そんな中で、2年生になった夏前に、自宅近くのルーテル教会に通い始め、3年生のクリスマスに洗礼を受けました。

洗礼を受けてから、さらに信仰の論理に対する関心が深まり、社会人生活を中断して神学校に入ったのです。キリスト教の学問は多岐にわたります。私は神学生時代は「教義学」つまりキリスト教の教理に重点を置いて学んでいましたが、牧師を続けるうちに次第に、社会の歩みと教会の歩みの相互関係がどうであったかという関心が強くなり、後に入学した聖学院大学大学院では「キリストと文化」という領域を学びました。

若い頃は小説を読むのが趣味でしたが、そのうちに仕事に埋没して、長らく無趣味で暮らしていました。66歳になってから宗教曲を歌う市民合唱団に入れてもらいました。間近見えてきた引退後の生活の手持無沙汰対策です。この合唱を始めたことは、それまで合唱も楽器もしたことがなかったので、高齢になった私の生活に大きな刺激になっています。

いつかお会いするときは、こんどはあなたのお話しを聞かせてください。

(改訂: 2016-09-21)


雑文検索

キーワード


© Sola Gratia. 高野牧師のホームページ.

powered by freo.