ルーテル教会って何?に答えて、今回はキリスト教の中の「ルーテル教会」の位置について書いてみました。
西東京ルーテル教会は「日本ルーテル教団」という組織の一員です。キリスト教の諸教派の中ではルター派(ルーテル教会)に属しています。皆さんが学校の歴史の時間に習った「宗教改革」の主導者の一人、マルチン・ルター Martin Luther が主張した信仰のあり方を大事に信仰生活を送る教会です。
マルチン・ルターの主張に共鳴する信徒たちはその当時、カトリック側の人たちから「ルターに従う奴ら」とあだ名されたことが、結果として「ルーテル教会」という名となりました。ルターの名は、明治時代には「路帖」と漢字で書かれ、「るうてる」と読みました。その後、「ルーテル」と表記が替わりました。
キリスト教はもとは一つ一つの地域の諸教会の集まりの自治自律を尊重しつつ同じ一つの信仰に立っていると自覚していました。しかし、古代のローマ帝国が東西に分かれたのちに、次第に「東方の教会」と「西方の教会」の二つの流れに分かれてきました。
東方教会は、今日のギリシア正教やロシア正教などで知られている教会です。正教会の「正」は、オーソドックスで「正統な」という立派な形容詞をもっています。全教会を統括するような役職はありません。国毎の自治が尊重されています。キリスト教発祥の地であるパレスチナ地方、そしてシリア、トルコ、エジプトなど東方教会の由緒ある地は後にイスラム教の勢力圏に入りました。日本では御茶ノ水のニコライ堂や函館のハリストス正教会が有名です。美しいイコンも、東方正教会で発展した宗教芸術です。
西方教会はローマ教会が全教会に主導権を持っていました。ふつつカトリック教会と呼ばれています。「カトリック」とは「普遍的な。公同の」という、これまた立派な形容詞がついています。礼拝が各国の言葉でなく、ラテン語で統一されていたことも大きな特徴でした。いまは各国語での礼拝が奨励されています。
西方教会は一体でしたが、宗教改革を経て、大きく二つの流れに分裂しました。ローマ教会の主導権を受け入れる「ローマ・カトリック教会」と、それを受け入れない「プロテスタント」と呼ばれる諸教派です。最近はほどんど使われなくなりましたが、旧教と新教と呼ばれたこともありました。新教とは「新しく興隆した教会」という意味だと思いますが、ふつうは「プロテスタント」と呼ばれます。宗教改革運動のころ、ローマ教会に「抗議する者」、またはローマ教会の圧力の元でも勇敢に自分たちの信仰を「表明する者」という意味です。
宗教改革運動は、ドイツのルターのほかにも、時を同じくして、フランスのカルヴァン、スイスのツヴィングリらも、それぞれ当時の教会の改革を訴え、自分たちの信仰を表明し、ローマ教会との確執を経て、自立的な教会を築き始めました。ドイツの北部、東部においてはルーテル教会。ドイツ南部、スイス、オランダ、スコットランドなどにおいては、改革派教会または長老派教会と呼ばれる教会が成立しました。また、イングランドの宗教改革ではアングリカン教会(日本名は聖公会)が成立しました。プロテスタント教会のローマ教会から自立は、国や地方の支配権の自立と重なることによって初めて可能になったのです。それで、これらの教派は国教になりました。
ルター派の宗教改革は、デンマークとアイスランド、ノルウェー、スウェーデンとフィンランドというように広がりました。国立大学に神学部がおかれ、牧師を養成しています。
イングランドの宗教改革ではアングリカン教会(英国国教会)が成立しました。この改革がゆるいものであったため、さらなる改革を目指したのが、ピューリタンと呼ばれる非国教徒です。彼らの運動の中で王殺し(レジサイド)が起こり、チャールズ一世は処刑されました。信教の自由を求めてアメリカ大陸に渡ったピルグリム・ファーザ-ズが有名です。また、△△自由教会という名の教会は、もとがルーテル教会であれ聖公会であれ、改革派教会であれ、その教会から出た非国教徒たちの教会であることを表しています。
フランスで起こった宗教改革運動は、国と教会の弾圧でつぶされました。これが二百年後に、宗教に敵対的なフランス革命(市民革命)が起こる遠因になったのではないかと思います。この革命でも王殺しが行われ、ルイ十六世はギロチンで首を切られました。
ルター派と改革派(長老派)との違いは、礼拝形式に表れます。教義の微妙な違いは別の記事として書きます。ルーテル教会では、礼拝式文を用いる、牧師は式服を着る、祭壇にローソクを置く、毎週聖餐式を行うなどの特徴があります。それはローマ教会の慣行を見直す基準の違いから起こっています。ルーテル教会では、聖書に規定されていなくても、信仰内容に反しない限りは昔からのやり方を引き継ぎます。しかし、改革派の教会では、聖書に書かれていないことは悪習として廃止することが基準になります。ですから、他のプロテスタントの人たちからすると、ルーテル教会の礼拝は、カトリック教会にそっくりと見えるようです。
プロテスタントの諸教会は、国教であった教会と非国教徒が作った教会と二分して見ることもできます。アメリカで大きく育ったメソジスト教会やバプテスト教会は、ヨーロッパで国教であった教会とは礼拝様式その他が異なることにお気づきになると思います。
このように、同じキリスト教でありながら、教義や社会的背景の違いから諸教派に分裂し、互いに争い、批判し合ってきました。しかし、今日では、そのような争いは神の望むところではないという反省が浸透して、異なる伝統を持っていても協力し合って神を宣べ伝え、またお互いの教会の良いところを学び合っていこうという努力がなされています。
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