Sola Gratia

ルーテル教会の礼拝について

初めて私たちの教会にいらした方は、礼拝の進め方に戸惑いを感じるのではないでしょうか。私たちは「礼拝式文」(略して「式文」と呼んでいます)を用いて礼拝を行います。この式文は、私たちの目指す信仰のエッセンスがたくさん詰まっているもので、何百年もかけて出来上がったものです。礼拝の進め方などについては、ぜひ遠慮なさらず、近くに座っている教会員におたずねください。

ルーテル教会は信仰の本質において一致さえすれば、礼拝形式や教会制度・組織などの一致を必ずしも求めません。ですが、礼拝において信仰生活を育成し、礼拝における神のみ言葉の重要性を強調するために、一定の礼拝形式を共用しています。私たちの教会では、現在は1996年に改定されたものを用いていますので、それに準拠して話を進めます。

まず、礼拝式の構造について。毎週日曜日の一時間ちょっとの礼拝式には、毎週変わらない部分と、毎週変化する部分があります。変わらない部分は、式文に書かれていますから、式文を見ていれば用は足ります。しかし、毎週替わる部分については式文には書かれていません。それを式文に書き込めば分厚いものになって、かえって実用に適さないからです。そのために、毎週、「週報」というものが配られて、当日に使われる部分のことが知らされます。礼拝では、「式文」のほかに「週報」も使われるというわけです。

礼拝式には、流れの構造もあります。式文にも週報にも書いてありますが、式の流れは五つの部分でできています。始まりから順に、開会の部、みことばの部、奉献の部、聖餐の部、派遣の部(閉会の部とも言います)と並んでいます。礼拝には、聖書朗読と説教を聴く「みことばの部」と、キリストの体と血(パンとぶどう酒)をいただく「聖餐の部」の二つの山があって、山へ上がって行くのが「開会の部」、山から下りて来るのが「派遣の部」、二つの山を繋ぐのが「奉献の部」というイメージです。ちなみに、この五つの部はみな、毎週替わらない要素と替わる要素からできています。

クラシック音楽のミサ曲は、この変わらない要素を演奏するものです。キリエ、グロリア、クレド(ニケア信条)、サンクトゥス、ベネディクトゥス、アニュス・デイです。私たちはもちろん日本語で歌います。ニケア信条は長いので歌わずに唱えます。

毎週替わる要素は、その日に歌う讃美歌、朗読する聖書箇所、説教、祈りなどです。これらは「週報」で知らされるのですが、説教や祈りは週報には書かれません。礼拝では、式文、週報のほかに聖書と讃美歌も欠かせないわけです。これらはみな、教会の物を使えますから、持っていなくても心配ありません。

宗教改革は中世のカトリック教会の「聖餐の部」の解釈を大幅に改革したものの、礼拝式の構造そのものは受け継いでおり、ルーテル教会の礼拝はカトリック教会の礼拝と非常に良く似ています。日本のルーテル教会では、現実に礼拝式をミサと呼ぶ教会は稀だと思いますが、ミサという言葉を使ってはいけないわけではありません。ミサは二つの山を備えた礼拝を言います。ルーテル教会では個々の教会で、日曜日に「聖餐の部」を省いた礼拝を行う教会もあり、一概にミサとは呼べないわけです。

礼拝中の所作として、立つ、座る、ひざまずくがありますが、体調の悪い人は座ったままで構いません。個々の教会で習慣が異なりますが、最低限でも、福音書の朗読を聞くとき、聖餐式の言葉を聞くとき、主の祈りを唱えるとき、祝福を受けるときは起立します。教会によっては聖餐を受けるとき、ひざまずきます。

また、祈るとき合掌する、十字を切るという所作があります。牧師が会衆の前で行なうときに、会衆も合わせるのですが、あまり強調されないことなので、身に付いている人は少ないと思います。


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