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「イスラエル」と「ユダヤ人」

「イスラエル」と「ユダヤ人」とのニュアンスの違いについて

旧約聖書の民は、民族的には「ヘブル人(またはヘブライ人)」(外国人、流浪の民の意味か?)と呼ばれ、信仰的にはイスラエル(神は力強いの意味)と呼ばれまています。ただし、紀元前587年に新バビロニア帝国に破れて国を失って以後は、民族的にはユダヤ人(彼[神]はたたえられるの意味)という方が一般的になりました。

また、新約聖書での「ユダヤ人」という言葉の使い方で、注意しなければならないことは、それがとくにことわりがなくても、ユダヤ民族一般を指しているのではなく、著者たちと最初のキリスト者読者たちを異端者として迫害した当時のユダヤ教指導者とその熱心な信者たちを意味しているということです。とくにことわるときは「ファリサイ派の人々」と言います。ファリサイ派がユダヤ教の指導権を握っていたからです。ですから、「ユダヤ人」と「ファリサイ派の人々」は新約聖書ではしばしば同義語として使われています。そういうわけで、当時のキリスト者は大部分が民族的にはユダヤ人だったけれども、新約聖書の「ユダヤ人」には彼らは含まれていないわけです。

ヨハネ福3章10の解釈について

イエスは答えて言われた。「あなたはイスラエルの教師でありながら、こんなことが分からないのか。」

「イスラエル」は、旧約の神が「イスラエルよ、・・・」と呼びかける言葉であることに注目すべきです。この場合は単にユダヤ教徒たちを指したものではありません。イエスさまがイスラエルの教師であるニコデモに答えながら、 「イスラエル」 に呼びかけている、神ご自身が遣わした独り子として 「イスラエル」 に呼びかけているのです。また同時に、旧約聖書にはっきりと語られている聖霊の働きについて理解しないファリサイ派への皮肉でもあるでしょう。


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