Sola Gratia

礒山雅『マタイ受難曲』

きょうは灰の水曜日、いよいよ四旬節が始まった。

毎年、四旬節の46日間をひとつのまとまりとして、何か一つ自分に有意義なことをしようと心がけている。実際には計画倒れになることが多いが、それはともかく、今年は久しぶりに礒山雅(いそやまただし)氏の作品研究「マタイ受難曲」を読み返して、歌詞の意味を確かめつつ、CDを聞いて、この時期の信仰の養いと楽しみにしたいと考えている。

7、8年前の四旬節にも、同じことをした。鵠沼教会に赴任して2年か3年経ったころのことだ。この教会の、音楽に親しむ気風にうながされてのことだったと思う。評価の定まった礒山氏のその厚い本を読み進みながら、繰り返しCDを聞いた。礒山氏のこのバッハ作品に対する情熱、歌詞を読み込む深さ、音楽の仕組みなどを学び、心が熱くなった。実際に、CDを繰り返し聞くうちに、導入の演奏が流れるだけで心にスイッチが入って、この音楽のとりこになる。礒山氏のこの本は名著だ。少なくとも、私にとっては貴重な出会いだった。礒山氏の手引きによって、私はバッハのマタイに親しんだ。と言うよりも、彼のせいで、バッハのマタイにかぶれてしまった。私はマタイ受難曲を歌うことを夢見るまでになった。これは、のちに合唱団に入る暴挙につながった。

バッハとの縁はもっとさかのぼることができる。大学に入った年に、辻荘一先生の音楽の講座をとったつながりで、辻荘一著、岩波新書『バッハ』を読んだ。バッハの音楽は、彼のルター派の信仰と深く結びついているということを強く印象づけられた。音楽関係のこの本でキリスト教のルター派の教義について読もうとは予想していなかった。高校の世界史で学ぶ宗教改革のイメージとは断然違った。同時に、音楽って深いと思った。あとから考えると、この本は、私が最初に出会ったキリスト教の本と言えるのではないか。

そうこうするうちに、音楽とは別に、私は自分の生き方の問題として、教会にでも行ってみようかと思うようになった。ためしに内村とか矢内原とか森有正とかを読んでみて、ルターという人物をさらに印象づけられた。結局、2年生の夏ごろルーテル教会に通い始めるようになったのは、これらのご縁によること大であったと思う。50年前のことだ。そんなわけで、今年はあらためて礒山氏の本を読み直し、バッハのマタイを楽しみつつ、学びたいと思う次第である。7、8年前の興奮とは別の何かを与えられるにちがいないと期待している。


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