Sola Gratia

小岸昭『隠れユダヤ教徒と隠れキリシタン』

小岸氏の前著『スペインを追われたユダヤ人』を読んで、スペイン・ポルトガルというキリスト教国によるユダヤ人迫害とキリスト教に改宗した隠れユダヤ教徒についてはじめて知ったあと、その後の小岸氏の探求に付いて行きたいという思いが、この本を読む動機です。

この本を読んでいる間に、タイミング良くスペイン・ポルトガルの聖地巡礼旅行の案内が舞い込んできて、飛びつくように参加を申し込みました。すると、この本を早く読み終わって、中世末期のスペイン・ポルトガルのクリスチャンの聖地巡礼に熱を上げる心性について知りたいという別の思いが起こり、巡礼旅行の期日が迫ったため、この本を読了しても読書記録を書く時間を失ってしまいました。

小岸氏がポルトガルの「隠れユダヤ教徒」の足跡をたどっていると、氏より先に「隠れキリシタン」のルーツを探る日本人が来たことがあること、そして、ポルトガル人宣教師ルイス・デ・アルメイダが改宗したユダヤ教徒であることを知ります。これが氏にとって「二つの隠れ」が結び付くきっかけになります。このことがプロローグで語られます。この本の目次は、以下のようです。

  1. プロローグ 二つの「隠れ」信徒物語
  2. 1章 加害の視点と向かい合う男
  3. 2章 フランシスコ・ザビエルと異端審問
  4. 3章 マカオの海
  5. 4章 棄教者沢野忠庵の「マラーノ性」
  6. 5章 棘を生きる人々
  7. 6章 アルメー様は何処に居る
  8. エピローグ 「非・場」からのロゴス中心主義批判

1章は、本島等 元長崎市長への訪問記。本島氏は五島の隠れキリシタンの生まれ。日本が、広島が、加害した反省なしに被害を訴えることに異議を唱える。「天皇に政治責任がある」と発言し、右翼に撃たれた。

2章は、聖人としてあがめられているザビエルが、来日の前にインドのゴアで異端審問所を設け、ユダヤ人の新キリスト教徒を生きながらの火あぶり刑にする「アウトダフェ」に関わったことを事実として認定する。イベリア半島のユダヤ人追放の経緯を描き、カトリック絶対主義の行き着く先を示す。

3章は、天正の四少年使節の運命を描く。彼らの存在はカトリックの勝利の象徴であった。8年6か月の旅から戻ると、2年間の修練をまっとうし、イエズス会修道士になった。しかし、やがて四人はそれぞれ棄教・追放・殉教の道をたどる。

4章は、日本管区長であったフェレイラが53歳で穴釣りの刑で転んだこと。その後、沢野忠庵として西洋医学書の紹介など、別の仕方で日本に奉仕した足跡をたどる。カトリック側としては、フェレイラの転向は最も屈辱的な事件であり、この後、死を覚悟して日本に潜入する神父が急増したこと。彼らは殉教する者も棄教する者もいたこと。棄教する者のキリシタン批判は、近代的世俗主義の先駆けと論じられる。

5章は、隠れ信徒の発見に有頂天になった神父たちのせいで、浦上くずれの迫害がおこったこと。そして、なおも隠れのままの信仰をもった者たちの存在と、彼らの生き様をたずねる。

6章は、ユダヤ教からの改宗者(マラーノ)のルイス・デ・アルメイダの数奇な生涯をたどる。また、彼にも多くの隠れユダヤ教徒や棄教者と共通するユダヤ人の心性を読み解く。

エピローグでは、マラーノ的精神、隠れキリシタン的精神とその体現者について考察する。マラーノ的精神は、小岸氏にとって関心の深いところなのでしょう、どの章にも触れられているのですが、わたしの理解が及ぶところとできませんでした。

六つの章は互いに関連はあるものの、それぞれ独立したテーマにもなる重いものであって、一冊の本に納めるには盛りだくさんで、また驚くような内容で、読書感想文をまとめるのが難しかったです。今回は簡単な内容紹介だけで、いったんけりをつけます。スペインやポルトガルの宗教裁判所が置かれた場所は、この夏に巡礼旅行で尋ねた個所と重なっていました。ともかく、自分の信仰のあり方について検討を求められていると感じました。


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