いつどんな動機でこの本を買ったのか思い出せませんが、ヨーロッパ(キリスト教世界)におけるユダヤ人虐待の歴史を学んでおこうと思い、この本を捜し出しました。
この本は、ドイツ文学者である小岸氏が、フリッツ・ハイマンの著書『死か洗礼か』を読んで、1492年のレコンキスタ終了と同時に始まったキリスト教による宗教一元化の運動によって祖国を出なければならなくなったユダヤ人たちの運命に関心を呼び起こされ、祖国をはなれて各地をさまよったスペイン系のユダヤ人たちの足跡をたどる旅の記録であり、またそうした運命を背負ったユダヤ人の生きざまの考察です。
まず彼らは改宗か国外追放かの選択を迫られ、キリスト教に改宗します。次に、異端審問所ができると、改宗したユダヤ人(マラーノ=豚と蔑称されます)は隠れユダヤ教徒であるという嫌疑をかけられ、拷問の末、生きながらに火刑に処せられます。著者は、その難を逃れようとして、行き先のあてもなく祖国を出た人たちに焦点を当てています。ですから、ユダヤ人の中でもアシュケナージについてはほとんど触れていません。しかも、スペイン系のユダヤ人・セファルディについても、著者の関心はもっぱらキリスト教に改宗してユダヤ人でなくなったユダヤ人の生き方に集中しています。
この本は名著だと思います。私は初めは空き時間に少しずつ読み継ぐためと思ってバッグに入れたのですが、読み始めるとグングン引きつけられて、読み終わるまで手放せなくなりました。これらの出来事は、宗教改革とほぼ同時代に起きていたこと、しかもキリスト教の名においてしてきたことなのに、この本に書かれていることはほとんど初耳のことで、私は何も知らずにいました。もう知らずに済ませることはできないという思いが迫ってきました。
その他、私にとってショッキングだったことの中には、同時代のコロンブスはイタリアのユダヤ人で、西回りでインドへの道を切り開こうとしたのは、ユダヤ人たちの期待と支援が大きかったこと。マラーノの中には忠実なカトリック教徒として生きた人もいて、宣教師のアルメイダもそうだし、大審問官のゲバラもそうだったこと。また、ユダヤ人ではありませんが、宣教師のザビエルはインドのゴアでは隠れユダヤ教徒の掘り起こしに熱心でマラーノの火刑にも関わっていたことなどがあります。
ユダヤ人の歩んだ道についてもっと知らなければなりません。小岸氏の文章は魅力的でもあり、別の本も読みたいと思います。また、スペイン、ポルトガルについての知識が非常に乏しいことを自覚させられましたので、イベリア半島の歴史も学びたいと思いました。
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