著者の自伝です。著者が亡くなられたのを知って、買ったものの読みさしたまま積読になっていた本です。ちょっとした空き時間に読もうとカバンの中に入れて持ち歩いていましたが、読んでいるうちに興に乗って、家でも読み継いでしまいました。翻訳であることがまったく気にならない、こなれた日本語です。
キューブラー・ロスさんについては、『死ぬ瞬間』の翻訳が読売新聞社から出てしばらく経ってから、神学生のとき、牧会心理学の授業の推薦図書として読みました。現場に出て、重い病気の人と相対するようになると、その本や続編を読んでいたことが大変な助けになりました。
その後、著者が臨死体験とか死後の生とかにのめり込んだとかいう悪評を聞くようになり、著者への関心が冷えていました。このたびは、著者の自伝によって、かつて彼女から学んだことをふり返ってみよう、そして彼女はその後どんな道を歩んだのか知りたいと思って手にとりました。
この自伝はかなり長いものですが、読むうちに、次はどうなるのかという興味が尽きない話で、しだいに引き込まれていきました。読み継いでいる間に、彼女の死後、彼女の最後を記録したNHK教育テレビの「最後のレッスン」という番組をユーチューブで見ることができることを知りました。自伝を読み、ドキュメンタリー番組で姿を見、肉声を聞くことによって、彼女をより身近に感じることもできました。それまでは、彼女を気高い精神的な存在としてしかイメージできなかったものですから。
死にゆく人々との対話が『死ぬ瞬間』という本に結実するまでの歩みは、初めて知ることも多かったですが、分かり易い部分でした。しかし、それに続く、いわば死に損なった人々との対話が、臨死体験や死後の生の確信にいたる歩みは、私自身は経験したこともない話で、ただ彼女の関心についていくという読み方になりました。
ただし、人生の意味が愛を学ぶこと、愛することと愛されることを身につけることだというような目的をもつものという見方に、私は強く共感したし、人の死後の生について、たとえそれが科学的に証明されたものでなくても、彼女が描くものと私自身が好むイメージが似ていることに好感をもちました。私としては、今を生きるうえでも、死後の生についてまったくイメージを持たずにいることはできません。そしてまた、私自身が死を迎えるまでには、まだたくさんの課題を学ばなければならないことも教えられました。年をとってだんだんボケてくれば救われるというものでもないようです。人生の輪が彼女をどこに連れていこうとも、それを前向きに受け入れるべく努めた彼女に、少しは見習わなくては。
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