Sola Gratia

三人の博士

今年はきょう1月4日に主の顕現を祝いました。

4世紀ごろから、顕現日にはマタイ2章1-12の記事に基づき、東方の三人の博士がイエスを礼拝するためにベツレヘムを訪れたことを記念するようになりました。現代、わたしたちはこの日を異邦人に救い主であるキリストが公に現された日として祝っています。

イエスがお生まれになったとき、東方の占星術の学者たちが、星に導かれてやってきました。そしてユダヤの王として生まれたイエスに、黄金、乳香、没薬を贈り物としてささげました。聖書にはそれ以上の記述はないのですが、三種の宝物から三人の博士と呼ばれるようになり、6世紀に彼らは王とされ、10世紀になるとカスパール、メルキオール、バルタザールという名前が付けられ、15世紀には、彼らは三大陸から来たと考えられるようになったのです。これを整理すると、以下のようになります。

この三人の博士の話に脚色を加えたのが、アナトール・フランス作、芥川龍之介訳『バルタザアル』です。

そして、もう一つ有名なのが、ヘンリ・ヴァン・ダイク作『もうひとりの博士 The Fourth Wise Man』です。いま日本語訳が手に入らないので、ここであらすじをご紹介したいと思います。

聖書によると、キリストがお生まれになったとき、東の国から三人の博士がたずねて宝物を贈ったとされています。しかし、この話にはもうひとりの博士アルタバン Artaban のことが紹介されます。

それぞれに贈り物を持って集合し、旅に出ようとしました。アルタバンは、すべての財産を売り払って、救い主への贈り物にする3つの宝石、サファイア、ルビー、真珠を手に入れました。けれど、アルタバンだけが時間に間に合わいませんでした。間近まで来ていたのに、道に倒れているユダヤ人の病人を介抱していたために、彼はひとりでメシアを探すことになってしまいます。

苦しい砂漠の一人旅の末に、ようやくベツレヘムに到着したときにはすでに、イエスはへロデ王の虐殺を逃れて、エジプトに避難した後で、クリスマスに間に合いませんでした。その間に彼がメシアへの贈り物として用意したサファイヤもルビーもラクダを買ったり、赤子を殺そうとするローマの兵隊に渡したりして失い、残った真珠だけを大事に抱えていました。

それから何年経ったことか。アルタバンは長い旅をしながら遠くエジプトに来ています。ユダヤで、風の便りに、イエスがエジプトに行かれたと聞いてやってきたのです。しかし広いエジプトのこと、あちらの町、こちらの村を訪ね歩いても、どうしてもアルタバンはイエスにお会いすることができません。アルタバンはその間にも、困っている人がいればすぐに助け、苦しんでいる人を慰め、食べ物のない人には食べ物を、着るもののない人には着るものをと、本当の愛の行ないを忘れませんでした。

こうしてアルタバンが故郷を離れてから、いつの間にか三十年余りの長い年月が過ぎ、すっかり歳を取ってしまいました。あと何年生きられるか分かりません。アルタバンは、もしかしたらと最後の望みをかけて、もう一度、ユダヤに帰ってきました。

エルサレムについた日、丁度、ゴルゴダの丘でキリストの処刑が行われるところでした。アルタバンはその方が探していたメシアであると知り、最後の力を振り絞って丘をのぼろうとします。その時、ひとりの少女が奴隷に売られて行くのを見かけます。彼は、メシアに捧げるために最後まで大事に取っておいた真珠と交換に少女を救うのでした。

突然の出来事に思わぬ時間をとられてしまったアルタバンは、疲れ切った身体を引きずるようにして、イエスさまが十字架に付けられたというゴルゴダの丘を登りはじめました。すると、あたりが急に暗くなり、激しい風と共に大地震が起こりました。アルタバンは突然倒れ、そのまま動かなくなってしまいました。力つき息もたえだえな老アルタバンは耳元で、「私の兄弟であるこの最も小さい者のひとりにしたのは、私にしてくれたことである」との言葉を聞きます。アルタバンは安心したように、にっこり笑うと、そのまま静かに天に召されました。あのイエスさまをしたい、イエスさまを愛し、また自分の周りの人たちを心から愛することのできたアルタバンの愛の心と行いこそ、三つの宝石のどれよりもすばらしい、イエスさまへの献げ物だったのです。


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