Sola Gratia

キリスト幾千度

「キリスト幾千度(いくちたび)ベツレヘムに生まれたまうとも、汝のうちに生まれたまわずば、汝はとこしえに失われてあらん」(アンゲルス・シレジウス)。

"Though Christ a thousand times in Bethlehem be born, But not within thyself, thy soul shall be forlorn." (Angelus Silesius)

これはクリスマスの季節にしばしば耳にする有名な言葉です。この季節に、わたしたちはキリストの二重の来臨を記念します。過去の来臨(二千年前の誕生)と将来の来臨(終わりの日の再臨)です。しかし、それらの記念は、現在における来臨つまりわたしたちがキリストを霊的に心に迎え入れることなしには意味をなさないことを教えてくれます。

「恐れるな。わたしは、民全体に与えられる大きな喜びを告げる。今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった」(ルカ2章 10~11)と、初めてのクリスマスのときに天使が羊飼いたちに語りました。クリスマスに、幼子イエスの誕生日を祝うだけでなく、キリストの来臨が世界と自分の人生の中心点となり、わたしたちの心の中にキリストが生まれてくださるよう祈りましょう。そして、信仰において主イエスを受け入れるならば、わたしたちのあらゆる知識、あらゆる認識のなかにキリストが生まれることを期待してよいのです。

アンゲルス・シレジウス Angelus Silesius(1624~77)は、ドイツの神秘的宗教詩人。本名はヨハネス・シェフラー Johannes Scheffler。シレジア(現ポーランド領)のルター派貴族の子として生まれ、王室の医師となる。後にカトリックに改宗して、アンゲルスの名をもらうと、自分でシレジウスとつけ加えた。それは「シレジア地方の神の使い」という意味である。1661年にフランシスコ会司祭となって、この地方のプロテスタントをカトリックに改宗させることに非常に熱心であった。しかし、今日では彼は神秘的詩人として知られている。彼の作品は正統的なキリスト教信仰にもとづくものであるが、汎神論的にも解釈することができる。その神秘主義は18世紀の敬虔主義に強い影響を与えた。

日本では、アンゲルス・シレジウス著『シレジウス瞑想詩集』上・下、植田重雄・加藤智見訳、岩波文庫、1992年がありますが、品切れ中です。以下、彼のいくつかの格言を紹介します。

「苦難にあっても満ち足りた喜びを見いだし、苦痛の中にあっても安らぎがもてる魂の人こそ、キリストの傷の中に住んでいる人である」。

「神の中にあなたが安らぐこと以外には、神はあなたに何も求めない。こうして神の中に安らげば、他のことは神自らがしてくれるであろう」。

「薔薇はなぜという理由なしに咲いている。薔薇はただ咲くべく咲いている。薔薇は自分自身を気にしない、ひとが見ているかどうかも問題にしない」。

「人よ、本質的なものとなれ。なぜなら、世界が消滅するとき偶然は滅び、本質的なものだけが生き続けるからだ」。

「中心点におのれを置きなさい。そうすれば現在も未来も、地上と天国に起こるすべてを、同時にあなたは見る」。

「さあ、明けの明星を呼びに行きなさい。夜が明けてこそ、初めて、何が美しく何が美しくないかが正しく見えるのだ」。

「パンが私たちを養うのではない。私たちがパンのなかに食べるのは、神の永遠の言葉・生命・精神なのだ」。


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