2003年10月19日に教皇ヨハネ・パウロ2世は、サン・ピエトロ広場で30万人の参列者を前に、貧困者の救済に尽力したマザー・テレサを聖人の前の段階である福者に列する列福式を行いました。
ローマ・カトリック教会は、殉教者や敬虔な信仰生活を送った人を死後、福者や聖人として崇敬しますが、殉教者以外は、奇跡を起こした実績が必須条件。彼女が死去した翌年の1998年9月に、ベンガル地方在住の30歳のインド人女性がマザー・テレサに祈り、胃がんが治ったとする申し出が認められました。通常、福者や聖人となるには、バチカンによる業績精査のため死後100年近くかかります。マザー・テレサ(1997年に87歳で死去)は最低でも「死後5年以上」という列福の規定を満たしてまもなく福者に列せられるのは教会史上最速で、教皇の強い意向が働いたといわれています。近い将来に聖人になるとみられています。
このニュースを読んだ娘から聖人と福者はどう違うのと尋ねられた機会に調べてみました。
「福者」とはカトリック教会での公の尊称のひとつで、慎重な審査を経て選出され、ローマ法王の認定を受けます。これを列福(beatified)してて、福者(blessed)になるといいます。こののち、更なる審査をクリアすると聖人としての認定を受けることになるため、聖人の前段階といわれています。こちらは列聖(canonized)されて、聖人(saint)になるといいます。
福者から「聖人」になるためには、さらにもうひとつの奇跡が、要求されます。その奇跡の申請については、福者の調査と同様の手順が踏まれます。最終的に教皇が、申請された福者を列聖式によって、聖人の位に挙げることとなります。
ふつう私たちは生前徳の高かった人を一般に聖人と呼んでいますが、カトリック教会は「尊者」(venerable)・「福者」・「聖人」と区別します。「聖人」とは全教会ために、「福者」とは、ある特定の地方や教区での崇敬のために教皇庁による厳しい調査の上で認定された人々です。また、現在ではあまり使用されませんが、「尊者」とは聖徳調査の前段階での尊称です。いずれも現在では教皇庁の専管事項となっていますが、近世までは教区司教が独自に行うこともありました。
聖徳の調査では、その取り次ぎによって奇跡が起こったかどうかが中心とされてきましたが、1983年の法改正によって、死後の奇跡よりも、生前の行いがどのように現代人に模範となるかが問われるようになりました。
下記のページにさらに詳しい説明があります。(リンク切れ)
聖徳の調査では、誰かが「悪魔の代弁者」(devil's advocate)として指名されて、その人が故人を可能な限り非難します。それでもやはり偉大な人物であることが示されれば、晴れて聖人になれるそうです。「列聖調査審問検事」とも訳されています。転じて、論争などであえて反論を唱える人もこう呼ばれることがあります。
「悪魔の代弁者」は1587年に作られましたが、現教皇の1983年の使徒憲章で廃止されたそうです。そのために、マザーテレサの列福の調査過程では、「悪魔の代弁者」は指名されなかったことも、速攻の列福に一役かったようです。
その生涯や聖徳についての調査が終了し、聖人の資格があることを認められると、「尊者」の称号を与えられます。次は「福者」そして「聖人」になるのでしょうけれども、そのため、その取り次ぎによる一つの「奇跡」が必要です。殉教者の場合にのみ奇跡が必要とされません。
「奇跡」は、神による「恵み」です。しかし、すべての「恵み」は「奇跡」ではありません。わたしたちの存在や自然も神の「恵み」ではありますが、「奇跡」とはいいません。教会が「奇跡」として認めるのは、内容や状況から見て、自然に説明できない出来事、たとえば、末期状態のガンや、骨折や身体的な疾病が急に治ることなどのような出来事です。そこには、神の特別な計らいが認められるからです。もちろん、その出来事を証明する証拠が必要です。たとえば、治癒前後のカルテや、担当医の証言など。しかし、医師が証言するのは、説明できないということであり、奇跡ではありません。奇跡は教会が判断します。
問題は、その出来事が聖人の「取り次ぎ」によるかということでしょう。これは、その聖人に祈った人の証言やその時の状況から判断できます。カトリック教会では、救われた方、すなわち聖人は、永遠に神のもとにおられ、私たちのために取り次ぐことができると信じています。そのため、信者は聖人の取り次ぎを願うのです。もしその聖人に祈って恵みをいただいたならば、その聖人が神のもとにおられることの「しるし」となるのです。
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