Sola Gratia

聖霊降臨後第3主日 説教

神の働き

26また、イエスは言われた。「神の国は次のようなものである。人が土に種を蒔いて、 27夜昼、寝起きしているうちに、種は芽を出して成長するが、どうしてそうなるのか、その人は知らない。 28土はひとりでに実を結ばせるのであり、まず茎、次に穂、そしてその穂には豊かな実ができる。 29実が熟すと、早速、鎌を入れる。収穫の時が来たからである。」

30更に、イエスは言われた。「神の国を何にたとえようか。どのようなたとえで示そうか。 31それは、からし種のようなものである。土に蒔くときには、地上のどんな種よりも小さいが、 32蒔くと、成長してどんな野菜よりも大きくなり、葉の陰に空の鳥が巣を作れるほど大きな枝を張る。」

33イエスは、人々の聞く力に応じて、このように多くのたとえで御言葉を語られた。 34たとえを用いずに語ることはなかったが、御自分の弟子たちにはひそかにすべてを説明された。

イエスさまの話の中にしばしば《神の国》という言葉が出てきます。マタイ福音書では、「神」という言葉を使うのは恐れ多いことから、「天」と婉曲的に言い換えて、「天の国」と言いますが、神の国と同じことです。この「神の国」というのは、森喜朗氏がかつて「日本の国は神の国である」と言ったのとはまったく違って、地上の特定の国のことでも、目標とすべき将来の理想の国のことでもありません。また、死後の世界、天国のことでもありません。

イエスさまの「神の国」という言葉は、人間の王ではなく、神が直接に王としてこの地上を支配すること(神の支配)と、神が支配する範囲と、支配のもとにある人々(神の国)を指す言葉です。支配という言葉は、強制的なイメージがありますが、この「神の支配」とは、神が人に命を与え、その生活を支え、病気や怪我で苦しむ者をいやし、迷う者に道を示し、弱きを助け強きを挫くというように、神が今ここで愛と真実をもって人に働きかけている現実を指す言葉です。ですから、神の国、神の支配は「神の働き」と言い換えた方が適切かもしれません。分かり易く言えば、「神の働き」は、人にとっては救いなのです。イエスさまはたびたび「神」を「父」と呼んで、そういう神の本当の姿を言い表しています。

イエスさまは、《時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい》(1章15)と言って、神の福音を宣べ伝えました。

神の国は、神の救いの働きかけのことですから、それは隠れた形で世の初めからあったものです。イエスさまが現れるまでは、人々は神の愛のみ心、恵みの働きかけをはっきりと知ることができませんでした。今、イエスさまが現れて、その働きはっきりと知って、それを良い知らせ、福音として人々に宣べ伝え始めました。人々はそれによって、神の恵みの働きかけを知り、信じ始めたのです。それが、神への「立ち帰り」であり、「悔い改め」であり、「回心」であり、新しい人生の考え方と生き方への「方向転換」です。

このように、イエスさまの登場によって、神の支配が明らかにされました。その意味で、神の支配はいま始まったと言うことができます。しかし、神の国はまだ完成に至っていません。私たちはその完成を待ち望んでいるのです。イエスさまは、現在働いている「神の支配」が完全に実現するとき、「神の国」が到来すると考えたのです。

この「神の国」について、イエスさまは御自分に従ってきた者たちに、たとえを用いて教えられました。目に見えない、神の国、神の支配について、26節に《神の国は次のようなものである》と言って成長する種のたとえを。30節に《神の国を何にたとえようか》と言ってからし種のたとえを語り、神の国がどのような希望なのか、どのような救いでなのかを教えたのです。

さて、イエスさまは、神の国は成長する種のようなものだと言われました。土に蒔かれた種が、知らない間に芽を出し、成長するように、神の国も、人が掌握できないところで、人の力によらないところで、成長していくというのです。人は良く育つように努力しますが、成長させるのは人の力ではありません。私たちには、神の国がどのように実現していくのか、どのように完成に向かっていき、いつ完成の時が来るのかは、知ることができません。しかしそれは、土が《ひとりでに》種に芽を出させ、実を結ばせ、収穫の時が来るように、神の国は、「ひとりでに」、つまり人の力によらず、神御自身の恵みの働きによって、どんどん前進し、必ず収穫の時が来る。終わりの日、完成の時が来るのです。

イエスさまこそ、神の国の実現のために蒔かれた種です。私たちの救いは、神の一方的な働きによって、ただ神の恵みと力によって、与えられていくのです。そして、終わりの日、天に上げられたイエスさまが再び来て、神の国を完成させてくださることを待ち望んでいます。私たちに神の国を実現させてくださるのも、この世の終わりに、すべてを支配し、神の国を完成させてくださるのも、ひたすら神の働きなのです。

種が、人が寝起きしているうちに成長するのと同じように、神の国も、私たちの過ぎ行く日々の中で、寝起きをしているその最中にも、神が働き、神が成長させてくださっています。そのような、ダイナミックな神の力の中に、私たちも置かれているのであり、ともに前進させられつつ、神の国の完成の時を待っているのです。

さて、次のからし種のたとえも、そのように成長していく神の国が、いったいどのようなものなのか、ということを教えています。からし種は1ミリ以下くらいの大きさで、どんな種よりも小さく、パレスチナの地域で、とっても小さいことを表す慣用句として使われています。日本でも、小さいものを「けし粒のようだ」と表現することがあります。しかし、その小さいからし種を蒔くと、数週間で成長し、3~4メートルの高さに成長するそうです。鳥が巣を作れるとは大げさですが、この言葉がきょうの旧約聖書へつないでいます。

旧約聖書において、大きな木は、国や王国を表します。先ほど読んだエゼキエル17章にも、イスラエルの国の回復が、木の大きな成長にたとえられています。鳥が木に宿るのも、繁栄の象徴です。

イエスさまは、《それはどんな野菜よりも大きくなり、葉の陰に空の鳥が巣を作れるほど大きな枝を張る》と言われました。神の国の福音は、蒔かれた時は、からし種のように、小さく、たよりなく、人々の目に留まらない、無視されてしまうような存在です。しかし、それは成長すると何よりも大きくなって、成長した葉の陰に鳥が巣を作るようになる。神の国は、想像を超えるほど大きく成長し、人々がそこに憩って安らぎを得るところとなるのです。

神の国の種が蒔かれるとは、まさに神の御子であるイエスさまが、まことの人となって、この世に来てくださったことと言えるでしょう。それは弱々しく、貧しく、とても惨めな姿でした。まさに一粒のからし種のように、無視され、人の目に留められないような、小さな存在となって、私たちの世に来られたのです。神の御子が人となり、このような小ささ、弱さを担われた。そこから、神の国、すなわち神の救いの働きは始まりました。

33節には、《イエスは、人々の聞く力に応じて、このように多くのたとえで御言葉を語られた》、とあります。そして、ご自分の弟子たちにはひそかにすべてを説明されたのです。

たとえ話で語られたことは、この見えない神の国を教えるものです。聞く力とは、イエスさまの御言葉に耳を傾け続けることです。イエスさまは何度も語られました。神の国は神によって、そしてわたし(イエスさま)によって実現する。そして、今わたしと共にいるこの現実こそ、神の国の現実であり、あなたたちは神の支配の中を、確かに歩んでいるのだ。神の国は、あなたたちの力で実現するのではなく、神が、わたしが実現することである。神の支配が、今は目に見えず、また小さく見えても、やがてそれは世界を覆い、すべてに満ち、完成の時を迎えるのだ。イエスはこう言っているのです。

この、今、神の国に生かされている恵みを見つめること、そして、終わりの日の完成を待ち望むこと。この、目に見えない確かなことに、私たちは目を向けましょう。私たちは、この目に見える世界の中にありながら、目に見えない、神の支配の中に確かにおり、神によって与えられる豊かな実りが約束されています。収穫の時が与えられます。その神の恵みを信じて歩むようにと、導かれているのです。イエスさまは、神の国を成長させてくださいます。そして、すべての者を、この恵みの主の御座に招いておられます。御業をなさるのは神ですが、神は、私たちをそのために用いたいと望んでおられます。私たちは、この恵みの現実に生かされている喜びを、目に見えないけれども、神と共に生きているという最も確かな現実を、必ず神の国が完成するという希望を、一人でも多くの人々に証ししていきたいと思います。

祈りましょう。天の父なる神さま。あなたの目に見えない良き働きを、成長する種のたとえで示してくださったことを感謝します。私たちがその恵みの働きをより深く悟り、信じて歩むことができるよう、聖霊と御言葉によって導いてください。私たちの主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。