Sola Gratia

信じる者は永遠の命を得ている

35イエスは言われた。「わたしが命のパンである。わたしのもとに来る者は決して飢えることがなく、わたしを信じる者は決して渇くことがない。」

41ユダヤ人たちは、イエスが「わたしは天から降って来たパンである」と言われたので、イエスのことでつぶやき始め、 42こう言った。「これはヨセフの息子のイエスではないか。我々はその父も母も知っている。どうして今、『わたしは天から降って来た』などと言うのか。」 43イエスは答えて言われた。「つぶやき合うのはやめなさい。 44わたしをお遣わしになった父が引き寄せてくださらなければ、だれもわたしのもとへ来ることはできない。わたしはその人を終わりの日に復活させる。 45預言者の書に、『彼らは皆、神によって教えられる』と書いてある。父から聞いて学んだ者は皆、わたしのもとに来る。 46父を見た者は一人もいない。神のもとから来た者だけが父を見たのである。 47はっきり言っておく。信じる者は永遠の命を得ている。 48わたしは命のパンである。 49あなたたちの先祖は荒れ野でマンナを食べたが、死んでしまった。 50しかし、これは、天から降って来たパンであり、これを食べる者は死なない。 51わたしは、天から降って来た生きたパンである。このパンを食べるならば、その人は永遠に生きる。わたしが与えるパンとは、世を生かすためのわたしの肉のことである。」

五つのパンと二匹の魚で五千人の人々を満腹にする奇跡を行ったイエスさまは、《わたしは天から降って来たパンである》(41)と言いました。人々が《主よ、そのパンをいつもわたしたちにください》(34)と求めると、イエスさまは《わたしが命のパンである》(35)と言いました。これを聞いたユダヤ人たちがつぶやき始めた、というところから本日の箇所が始まります。

彼らのつぶやき(つまずき)は、《これはヨセフの息子のイエスではないか。我々はその父も母も知っている。どうして今、『わたしは天から降って来た』などと言うのか》(42)ということでした。イエスは我々と同じ普通の人間なのに、どうして「わたしは天から降って来た」などと言えるのか、ということです。天から降って来るのは神です。彼らは、イエスさまが天から降って来た神であるということにつまずいたのです。

私たちも、イエスさまが天から降って来た者、つまりまことの神が人間となった方だという教えにはとまどいを感じます。イエスさまの教えはすばらしいし、弱い者、貧しい者と共に生きたその歩みは見倣うべきものだ、しかし、イエスさまは天から降って来た独り子なる神だと言われると、それは信じられないとなります。

けれども、ヨハネによる福音書はイエス・キリストは人間となった神であるということを繰り返し強調しています。この福音書の冒頭1章1節に《初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった》とあり、14節に《言は肉となって、わたしたちの間に宿られた。わたしたちはその栄光を見た。それは父の独り子としての栄光であって、恵みと真理とに満ちていた》とありました。そして18節には《いまだかつて、神を見た者はいない。父のふところにいる独り子である神、この方が神を示されたのである》とありました。そして本日の箇所の「天から降って来た」という言葉も、イエスさまが神であることを告げています。それは、この福音書が書かれた当時の教会にも、このことに対してつぶやき、イエスさまを神と信じるのでなく人間イエスとしてのみ捉えようとする人々がいたからです。ここに語られているユダヤ人たちのつぶやきは、教会の中にありつづけるつぶやきなのです。

このつぶやきに対するイエスさまの答えが44節以下です。イエスさまはここで、ご自分が神であることの証拠を示して人々を説得しようとはしていません。44節で《わたしをお遣わしになった父が引き寄せてくださらなければ、だれもわたしのもとへ来ることはできない》と言っています。「わたしのもとへ来る」とはイエスさまを信じてその救いにあずかることです。つまり、イエスさまを独り子なる神と信じる信仰は、イエスさまが神であるという証拠を示されて納得して信じるようになるというものではなくて、父なる神に導かれることによって与えられるのです。

父なる神はどのようにして私たちをイエスさまのもとに引き寄せ、信仰を与えるのでしょうか。次の45節には《彼らは皆、神によって教えられる》という預言者の書からの引用がなされています。イエスさまを信じることは父なる神に教えられ、そのみ言葉を聞いて学ぶことによってこそできるということです。神は聖書をとおしてみ言葉を語っています。聖書から神の教えを受けて、私たちはイエスさまが独り子なる神であると信じることができるのです。それを信じられずにつぶやくのは、聖書から神の教えを聞こうとせず、自分の考え、感覚、あるいは人間の常識というフィルターを通してイエスさまを判断しようとするからです。しかし、まっすぐに聖書から神の教えを聞いていくなら、3章16節にあったように、《神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである》という神のみ心を知ることができるのです。そのように、聖書から神の教えを受けようとする者を、神はイエスさまのもとに引き寄せます。また同時に神がイエスさまのもとに引き寄せている者は、聖書から神の教えを受けようとするのです。そこに、イエスさまは天から降って来た独り子なる神であると信じる信仰が与えられるのです。

イエスさまは天から降って来た独り子なる神であると信じるとは、言い替えれば46節にあるように《父を見た者は一人もいない。神のもとから来た者だけが父を見たのである》と信じることです。独り子なる神であるイエスさまによってこそ私たちは父なる神を示され、信じることができるのです。父なる神を信じることと独り子イエスさまを信じることは一つなのです。

イエスさまを信じる信仰はこのようにして神から与えられます。そして47節には、《はっきり言っておく。信じる者は永遠の命を得ている》とあります。イエスさまを信じる者には永遠の命が与えられるのです。なぜなら、48節でイエスさまが言っているように《わたしは命のパンである》からです。このパンを食べる者は、永遠の命を得るのです。そのことが49節以下に語られていきます。《あなたたちの先祖は荒れ野でマンナを食べたが、死んでしまった。しかし、これは、天から降って来たパンであり、これを食べる者は死なない。わたしは、天から降って来た生きたパンである。このパンを食べるならば、その人は永遠に生きる》

私たちは、イエスさまからパンを与えてもらうのではなくて、イエスさまというパンを与えられ、食べるのです。イエスさまが天から降って来たパンであると信じるとは、天からのパンであるイエスさまを食べることです。そしてイエスさまというパンを食べるならば、私たちは死なないのです。永遠に生きるのです。なぜならば、イエスさまは、天から降って来て、人間としてこの世を生きて、私たちの罪をすべて背負って十字架の上で死んだことによって罪の赦しを与え、そして復活して今や永遠の命を生きておられる、独り子なる神だからです。独り子なる神イエスさまの十字架の死と復活があったからこそ、イエスさまは命のパンであり、このパンを食べるならば、その人は永遠に生きるのです。「命のパンであるイエスさまを食べる」という比喩は、永遠の命を与えることのできるイエスさまを信じて従うこと、イエスさまを受け入れイエスさまと結ばれてひとつとなるということです。

それゆえに、イエスさまが天から降って来た独り子なる神であるという信仰は、私たちの救いにおいて欠くことができません。この独り子なる神イエスさまを信じるところに、罪人である私たちをただ恵みによって救ってくださる神の愛が示されます。神はこの愛によって私たちを、弱さや罪の中にいるありのままで赦し、救ってくださるのです。そして私たちにイエスさまという命のパンを食べさせ、イエスさまと一つにし、新しく生かしてくださいます。私たちはその新しい命を今この人生の中で生き始めます。

イエスさまは47節で《信じる者は永遠の命を得ている》と言います。イエスさまが天から降って来た独り子なる神であると信じた者は、そのことによって「既に」永遠の命を得ていると言うのです。しかしイエスさまを信じた私たちは、「未だ」永遠の命を得てはいません。信仰者も病気にかかり、年をとって弱り、そして必ず死にます。それは、信仰があろうとなかろうと変わりません。永遠の命はこの世の人生の中で得られるのではなく、世の終りの日に復活させられることによって与えられるのです。私たちはそこに希望を置いて、世の終わりにおける復活と永遠の命を待ち望みつつ生きるのです。イエスさまを信じて洗礼を受け、イエスさまと結び合わされて生き始めた者は、命のパンであるイエスさまを食べ、「既に」永遠の命を生き始めているのです。しかしその救いは「未だ」完成していません。イエスさまによる救いにおける「既に」と「未だ」の両方を見つめつつ生きるのが私たちの信仰の歩みです。命のパンであるイエスさまは私たちを養い、生かしてくださるのです。

祈りましょう。天の父なる神さま。御子イエスさまを、人に永遠の命を与えるパンとして天から降してくださったことを感謝します。ここに示されたあなたの人に対する真実の愛を信じ、希望と喜びをもって歩み続けられるよう、私たちを養ってください。救い主、イエス・キリストのみ名によって祈ります。アーメン


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