Sola Gratia

四旬節(レント)

四旬節という言葉

四旬節(英語でレント Lent、ラテン語でクァドラジェシマ Quadragesima)は、受難節、大斎節(たいさいせつ、聖公会)、大斎(おおものいみ、東方正教会)とも呼ばれるが、復活祭を準備するための四十日の期間を指す。

ラテン語 Quadragesimaは四十を意味する言葉、英語の Lentはその訳語として用いられたのだが、語源は古英語 lencten ないし lenchthen は「日が伸びる、春」の意味であって、もとはキリスト教とは無関係の言葉であった。四十日は、モーセ、エリヤ、キリストの四十日間の祈りと断食(マルコ1:13参照)にちなんでいる。

復活祭に備える期間であると同時に、受洗者と堅信者の準備の期間、他の者にとってはその誓いを更新し、神との正しい関係に戻る期間である。「四旬節を失う者は、その一年を失う」と言われるほどに、大切に見なされてきた。

レントの起源

古代教会では復活祭の前にさまざまな形で祈りと断食を行い、信仰生活の刷新に励むという慣習があったことが知られている。

伝説ではイエスの磔刑の日、弟子のヤコブが金曜日には断食すると誓ったことが始まりという(ヘブライ人の福音書)。初代教会では年単位でなく、週単位で、金曜は十字架を、日曜は復活を記念していたが、やがてイエスが墓にいた40時間の断食の習慣ができ、これが三世紀には聖週を守ることに拡大し、この間肉食を断った。これが大グレゴリウス(590-604)の頃のローマでは36日間の断食に伸びていた。この日数については、一年を神に捧げる精神的な十分の一税という説明がなされていた。この場合の断食とは、ふつう夕食一食に制限、肉とぶどう酒は禁止、のちには肉から生じる卵や乳製品も禁じられた。聖週はパンと野菜と塩のみとなった。

ついに、カール大帝(731年)のころ、今日の40日間を守るようになった。イエスの荒れ野の断食、モーセのシナイ山での断食などにならって、浄めの期間とされた。その始まりに回心のしるしとして灰を頭に振りかける儀式が行われるようになった。その日は「灰の水曜日」(ラテン語では灰の日)と呼ばれ、灰を額に塗る儀式として今日まで受け継がれている。ただし、灰の水曜日は新しいものであるだけに、四旬節第一主日にレントの始まりを宣言するより古い習慣を伝えている教会もある。こうして、形が完成するころ、断食の規定は徐々にゆるみはじめ、トマスらによって昼の軽食が認められるようになった。

レントはイエスの苦難と死を覚えるのであるから、復活を祝う日曜日を除いているので、復活祭46日前の灰の水曜日から始まる。しかし、日曜日もレントの影響を受けて、ほとんどの教会ではハレルヤとグロリア・イン・エクセルシスを歌わない。またかつては結婚式も禁じられ、オルガンも使わなかった。従来から First Sunday in Lent のように数えているが、of Lent と変えて、この季節を強調すべきという意見も出されている。

カトリック教会の規則

伝統的に、断食・施し・祈りがレントの三重の訓練であった。

あなたは祈りが神に向かって飛んでいくことを望むか。祈りに二つの翼を、断食と施しを付けなさい。―― アウグスチヌス

1966年の第二バチカン公会議による改革の前には、カトリック信徒は、年間を通じて金曜日には肉食を避けるように義務付けられていた。肉食しないこと(贅沢をしないこと)は悔い改めの印である(ダニエル10:1-3)。

今日のカトリック教会の規則では、Fasting(大斎)は18才以上と60才未満が対象、一日一食に制限すること(他の二食は軽食スナックは許される、アルコールやお菓子の間食はいけない)。Abstinence(小斎)は14才以上が対象、肉を食べないこと。1.灰の水曜日と聖金曜日は大斎と小斎。2.灰の水曜日と聖金曜日、四旬節の毎金曜日は小斎。3.痛悔と祈り、施しと愛の業が勧められる。また、何か好きなもの(映画とかチョコレートとか)を断念する克己・節制の業が勧められる。

Fasting は、食べてもよい食べ物の量の制限。Abstinence は、量には関係なく食べ物の種類のことを意味している。

内的な断食すなわち罪を痛悔することに重点がある。コレステロール値を下げるとか減量に良い、節約できたお金を寄付するというようなダイエットの世俗的な意味づけは、神の前に正しく生きることの副産物であって、それを強調すると焦点がぼける。

ちなみに、スナックのプレッツェルは、祈りの手をかたどった、レントの断食中の食べ物だったそうである。

東方教会の Great Lent

東方教会では、レントは、イースターの7週間前の月曜日に始まり、イースターの9日前の金曜日に終わる(棕櫚主日の前のラザロの土曜日は祝日)。この聖週(レントとは別の季節と見なされている)前の40日間の「大レント」は、ゆるい断食日として土曜と日曜も含んでいる。したがって、Clean Monday「清めの月曜日」に始まり、西方で発達した灰の水曜日はない。また、この期間中もハレルヤが歌われる。

この期間、信徒は特定の食べ物を避け、娯楽や、旅行、宴会が伴うような行事には参加しないように勧められ、逆に平日に行われる「大斎」祈祷に積極的に参加することが呼びかけられます。避けるべき食べ物としては、肉・魚肉・乳製品・たまご製品・酒類。

アドヴェントにも斎(断食)があり、これを Little Lent と呼び、こちらは Great Lent と呼んで区別している。わたしたちも長らく待降節と四旬節は同じ典礼色=紫を使ってきた。最近は待降節に青を用いて差異化する傾向もあるようだ。

カーニヴァル

昔は四旬節の断食が厳しく遵守され、肉を食べることがいっさい許されなかったため、その始まりに先だつ三日間(日・月・火)は「カーニヴァル」(ラテン語の肉よさらば caro vale あるいは 肉食禁止 carnem levare から)と呼ばれるようになったと言われる。前日の火曜日をフランス語で Mardi(火曜日)Gras(脂肪分の多い、肉の)、ドイツ語で Fetter(脂肪の多い)Dienstag と言うが、英語では Shrove Tuesday と言い Shrove は古英語で懺悔を聞くという意味であったそうである。

現代では、四旬節は忘れられても、カーニヴァルはキリスト教諸国で盛大に祝われている。賑やかなカーニバルで名が知られているのはブラジルのリオ、米国ニューオルリーンズ、イタリヤのベニス、ドイツのケルンなどであるが、今ではキリスト教の行事との関係はまったく希薄になっているように思われる。

東方教会でもカーニヴァルを祝うが、西方ほど派手な騒ぎはないようだ。

灰の水曜日

レントの最初の日は水曜日で、特に「灰の水曜日」と呼ばれる。

なぜ灰の日と呼ぶのか? それは、この日にキリスト教徒が教会で額に灰で十字架の印をつけた儀式からきている。初期キリスト教時代、信徒は粗末な衣服をまとい、ちりと灰の上に座り、それを頭にふりかけながら、断食を行ったとあります。その後、灰の上に座る代りに額に灰をつける習慣に変わった。

灰の水曜日の夜の礼拝の中で、祝別されたシュロの葉から作られた灰が、牧師によって信徒の額に十字架の印を描きながらつけられる。これは、自らの罪を謙虚に認め、神に対して回心して、福音を信じてよき生活をしていきなさいという促しとなる。

灰は動植物の燃えた後にわずかに残される、色も形もない残滓であり、ユダヤ教の伝統では土から造られた人間のはかなさを想起させるしるしとされる。この式では、「人よ、あなたは塵であるから、塵に帰ることを思いなさい」と唱えられるが、私たちが日頃忘れがちである人間存在の本質を再認識させる。

レントの意味

復活の記念は復活の主日からさかのぼって(日曜日を除く)40日前に始まる。この40日間を四旬節と呼んでいる。この40日は、キリストが公生活を始められる前、荒れ野で断食をしながら試みにあわれた40日間にちなむものであるが、この間は肉を食べないなどの節食や断食をはじめ、その他食事以外においても各自可能な限り禁欲生活を送ることが勧められる。またこの40日間には、キリストの教えを再度確認したり、またそれをいかにして自分の生活に活かしていくかを考えるために、お祈りを中心とした集まりが各教会で持たれたりもする。

キリスト者にとっては、とくに教会の暦を通してキリストの神秘を新たに想起し、教会と信仰生活の活性化をはかることは非常に大切なことである。イエス・キリストのできごとにおける救いのわざを、繰り返し現実化し、年を重ねつつ信仰を深めていくのが信仰者の人生である。四旬節は主イエス・キリストの受難と死と復活の神秘を黙想し、私たちの生活を毎日新たにこの神秘に生かされたものにしていく時である。

四旬節は、ただ単に罪の生活からの転換、悪弊の改め、心の浄化を目的とするのではない。むしろ、主の受難と死を思い、神への愛、キリストへの愛を深める時、そして、主の復活によって啓示された永遠のいのちへの希望を強める時なのである。

このところ、暗く沈んだ日本社会だが、このようなときにこそ、キリスト者が四旬節に主の受難と死と復活を思い、そこに約束された神の国の完成と全被造物の新生を希望することを通して、世の人々に希望に生きる生を証したい。新しい生の回復に向けて過ごすものでありたい。


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