主の昇天 説教
イエス 天に上げられる
- 2020年5月24日(日)
- 主の昇天
- ルカ24章44~53
44イエスは言われた。「わたしについてモーセの律法と預言者の書と詩編に書いてある事柄は、必ずすべて実現する。これこそ、まだあなたがたと一緒にいたころ、言っておいたことである。」 45そしてイエスは、聖書を悟らせるために彼らの心の目を開いて、 46言われた。「次のように書いてある。『メシアは苦しみを受け、三日目に死者の中から復活する。 47また、罪の赦しを得させる悔い改めが、その名によってあらゆる国の人々に宣べ伝えられる』と。エルサレムから始めて、 48あなたがたはこれらのことの証人となる。 49わたしは、父が約束されたものをあなたがたに送る。高い所からの力に覆われるまでは、都にとどまっていなさい。」
50イエスは、そこから彼らをベタニアの辺りまで連れて行き、手を上げて祝福された。 51そして、祝福しながら彼らを離れ、天に上げられた。 52彼らはイエスを伏し拝んだ後、大喜びでエルサレムに帰り、 53絶えず神殿の境内にいて、神をほめたたえていた。
《44 イエスは言われた。「わたしについてモーセの律法と預言者の書と詩編に書いてある事柄は、必ずすべて実現する。これこそ、まだあなたがたと一緒にいたころ、言っておいたことである。」45 そしてイエスは、聖書を悟らせるために彼らの心の目を開いて、46 言われた。「次のように書いてある。『メシアは苦しみを受け、三日目に死者の中から復活する。47 また、罪の赦しを得させる悔い改めが、その名によってあらゆる国の人々に宣べ伝えられる』と。エルサレムから始めて、48 あなたがたはこれらのことの証人となる。49 わたしは、父が約束されたものをあなたがたに送る。高い所からの力に覆われるまでは、都にとどまっていなさい。》
47~48節にこうあります。《また、罪の赦しを得させる悔い改めが、その名によってあらゆる国の人々に宣べ伝えられる』と。エルサレムから始めて、あなたがたはこれらのことの証人となる》。イエスさまは、「あらゆる国の人々に宣べ伝えられる」と言われました。けれども、弟子たちがこれを最初に聴いたとき、本当にあらゆる国の人々、全世界に伝えられるなどとは考えられなかったのではないでしょうか。
弟子たちはエルサレムから各地へ遣わされて伝道を始めました。まず伝道をしたのはユダヤ人たちに対してです。彼らは異邦人に出会うと、異邦人に伝道して洗礼を授けても良いのかという問題が起こりました。エルサレムの教会で会議を開いた結果、異邦人にまで救いが広げられることは神の御心であることが分かりました。それから、異邦人伝道が積極的に行われるようになりました。そして、ついに福音がその当時の世界の中心地ローマにまで到達しました。ルカはそれを一区切りと考えて使徒言行録を閉じました。
しかし、福音はルカの思いをはるかに超えて広がって、ついにローマ帝国でキリスト教が公認されるようになりました。そして、北方のゲルマン人へも伝道されて、やがてヨーロッパ全体へと広がっていきました。さらに、19世紀、20世紀になると、福音は本当に全世界に広まって、かつてのイエスさまの言葉が、今ようやく実現しつつある次第です。
なぜこんなにも広まったのでしょうか。その原動力はもちろん神の力と神の導きによりますが、それらは聖書を通して働きました。原動力は聖書であると言ってもよいのです。
44節にこうあります。《わたしについてモーセの律法と預言者の書と詩編に書いてある事柄は、必ずすべて実現する。これこそ、まだあなたがたと一緒にいたころ、言っておいたことである》。ここに「モーセの律法と預言者の書と詩編」と言われていますが、これは私たちの言う旧約聖書のことです。当時はまだ新約聖書はありませんから、聖書全体を意味しています。
この聖書全体が言うことを、イエスさまの弟子たちは本当の意味ではまだ理解できていませんでした。ですから、続く45節に、《聖書を悟らせるために彼らの心の目を開いて》とあるのです。私たちには聖書があります。そして聖書を悟ることができるように、心の目を開いていただけます。このことは今も昔も変わりません。世界中に福音が広がっていくにあたって、聖書がこのように原動力となったのです。
聖書には流れがあります。聖書のどの箇所を読むときにも、聖書全体の流れを把握しておいてから、その箇所を理解することが大切です。イエスさまが聖書を悟らせて心の目を開かせるために言われた言葉が、46~47節にあります。《次のように書いてある。『メシアは苦しみを受け、三日目に死者の中から復活する。また、罪の赦しを得させる悔い改めが、その名によってあらゆる国の人々に宣べ伝えられる』と》。これが、イエスさまが聖書全体の流れをひと言で語った言葉です。聖書全体が伝えていることは、私たち人間を罪から救うメシア、救い主がおられること、そのお方が十字架で苦しまれ、死んで、三日目に復活されたこと、そしてそのお方こそイエス・キリストであり、このお方によってあなたがたの罪が赦されたということです。
しかし聖書にそう書いてあるからと言って、直ちに信じるということにはなりません。そこで、45節にある《心の目を開いて》ということが大事になります。聖書を悟るとは、書かれた言葉を理解することからさらに進んで、イエスさまとの出会いが与えられることなのです。それは、十字架と復活と罪の赦しを自分の生活において実感しているということです。自分がイエスさまの出来事の当事者となること、その出来事が自分のためになされたと信じるということです。そのためには、私たちの心の目が開かれる必要があります。
49節にこうあります。《わたしは、父が約束されたものをあなたがたに送る。高い所からの力に覆われるまでは、都にとどまっていなさい》。「高い所からの力」とは、聖霊のことです。イエスさまが天に上ったのちに送ってくださる聖霊の助けによって、私たちは聖書を悟らせていただけるのです。
《50 イエスは、そこから彼らをベタニアの辺りまで連れて行き、手を上げて祝福された。51 そして、祝福しながら彼らを離れ、天に上げられた。52 彼らはイエスを伏し拝んだ後、大喜びでエルサレムに帰り、53 絶えず神殿の境内にいて、神をほめたたえていた。》
ルカはこの福音書をイエスさまの祝福でもって閉じています。イエスさまは手を上げて祝福しながら天に上げられました。そして、今もなお手を上げて祝福していてくださいます。ルカ福音書の最後はそうなっているのです。
ルカはイエスさまを少しずつ読者に紹介して、だんだんとその答えを明らかにしてきました。イエスさまとは救い主、メシア、キリストだということをです。そして最後にルカが紹介するイエスさまの姿は、今もなお祝福の手を上げ続けている姿なのです。
きょうの箇所の一つの大きなテーマは、祝福です。祝福とは何でしょうか。この祝福という言葉は、元は「良い言葉を語る」という意味の言葉です。
きょうの箇所に、実は祝福という言葉が三度、出ています。まずは50節と51節です。《イエスは、そこから彼らをベタニアの辺りまで連れて行き、手を上げて祝福された。そして、祝福しながら彼らを離れ、天に上げられた》。ここに祝福という言葉が二度出てきます。イエスさまが私たちを祝福してくださっています。もう一つは最後の53節です。《(彼らは)絶えず神殿の境内にいて、神をほめたたえていた》。ここにある「ほめたたえていた」という言葉が、実は元の言葉では「祝福する」と同じ言葉なのです。
なぜこのような違いが生じるのでしょうか。神が私たちに「良いい言葉を語る」とき、それは祝福になります。しかし人間が神に対して「良い言葉を語る」とき、それは神をほめたたえる、讃美するとなるわけです。イエスさまの良い言葉が、弟子たちの中に良い言葉を生んだ。イエスさまの祝福が、弟子たちに神をほめたたえさせたわけです。
そして人が隣り人に向かえば、祝福を告げるこということになります。人を祝福することなどできるのだろうか。そう思う人もいるかもしれません。しかし、イエスさまが弟子たちを遣わされたときに何と言われたかを思い出しましょう。ルカ10章5節で、イエスさまは72人の弟子を遣わされたとき、《どこかの家に入ったら、まず、「この家に平和があるように」と言いなさい》、と弟子たちに命じられました。この平和を告げる、平安を祈る、それが私たちに命じられたことでした。それこそ、祝福を告げるということでしょう。
祝福とは良い言葉を語ることです。それではその良い言葉とは何でしょうか。聖書では祝福の反対語は呪いですが、呪とは要するに「お前は要らない」ということでしょう。祝福はその反対で、「あなたは大切だ」ということになります。イエスさまが天に上げられとき、弟子たちはイエスさまに両手を上げて祝福していただきました。「あなたがたは大切だ」。イエスさまがそう保証してくださった。やがて弟子たちは使徒になります。各地に派遣されて、伝道をし、教会を建てていきます。これから使徒になるにあたって、イエスさまから「あなたは大切だ」と言っていただいた。この保証があったから、弟子たちはその後、歩んでいくことができたのです。
きょうの箇所は、ルカ福音書の最後の箇所であり、イエスさまと弟子たちの別れの箇所でもあります。「あなたは大切だ」とイエスさまが言ってくださった。そのことがあったから、弟子たちはここで大喜びをしているのです。
イエスさまは今もなお、手を上げて祝福をしてくださっています。それが教会です。私たちの教会もそうです。イエスさまが手を上げて祝福されている中を、私たちも歩むことができるのです。
《どうか、わたしたちの主イエス・キリストの神、栄光の源である御父が、あなたがたに知恵と啓示との霊を与え、神を深く知ることができるようにし、心の目を開いてくださるように。そして、神の招きによってどのような希望が与えられているか、聖なる者たちの受け継ぐものがどれほど豊かな栄光に輝いているか悟らせてくださるように》(エフェソ1章17~18)。