1過越祭の六日前に、イエスはベタニアに行かれた。そこには、イエスが死者の中からよみがえらせたラザロがいた。 2イエスのためにそこで夕食が用意され、マルタは給仕をしていた。ラザロは、イエスと共に食事の席に着いた人々の中にいた。 3そのとき、マリアが純粋で非常に高価なナルドの香油を一リトラ持って来て、イエスの足に塗り、自分の髪でその足をぬぐった。家は香油の香りでいっぱいになった。 4弟子の一人で、後にイエスを裏切るイスカリオテのユダが言った。 5「なぜ、この香油を三百デナリオンで売って、貧しい人々に施さなかったのか。」 6彼がこう言ったのは、貧しい人々のことを心にかけていたからではない。彼は盗人であって、金入れを預かっていながら、その中身をごまかしていたからである。 7イエスは言われた。「この人のするままにさせておきなさい。わたしの葬りの日のために、それを取って置いたのだから。 8貧しい人々はいつもあなたがたと一緒にいるが、わたしはいつも一緒にいるわけではない。」
イエスさまは、死んで四日経ったラザロを復活させました(11章25-44)。これは大変な出来事で、人々はついに救い主、メシアが来たと期待し、大騒ぎになりました。ユダヤの権力者たちは、イエスさまに対する人々の期待感が反ローマの暴動の引き金になるのではないかと案じました。《それで、イエスはもはや公然とユダヤ人たちの間を歩くことはなく、そこを去り、荒れ野に近い地方のエフライムという町に行き、弟子たちとそこに滞在された》
(11章54)のです。
そして、過越祭が近づきました。この過越祭とは、奴隷だったユダヤの民が、神によって立てられたモーセに率いられてエジプトから脱出したことを記念する祭りです。民族意識が高揚し、自分たちを支配しているローマに対しての不満が膨れあがり、暴動や反乱の発生が危惧される、緊張が高まる時でした。
祭りが近づき、多くの人々がエルサレムに集まりました。《多くの人が身を清めるために、過越祭の前に地方からエルサレムへ上った》
(11章55)とあります。その人々は、《どう思うか。あの人はこの祭りには来ないのだろうか》
(11章56)と話していました。ラザロの復活は誰もが知り、イエスさまは時の人になっていました。そして、《祭司長たちとファリサイ派の人々は、イエスの居どころが分かれば届け出よと、命令を出していた。イエスを逮捕するためである》
(57)。逮捕状が出て指名手配されたのです。このようにイエスさまを取り巻く状況は緊迫したものになっていました。
《過越祭の六日前に、イエスはベタニアに行かれた》
(1)。イエスさまはこの時すでに、過越祭の時に自分が十字架にかかることを覚悟していたと思われます。イエスさまは、過越祭に合わせてエルサレムに上るために、あえて再びベタニアの村に戻って来ました。ベタニアの村からエルサレムまでは、歩いて一時間ほどの距離です。《イエスのためにそこで夕食が用意され、マルタは給仕をしていた》
(2)とあり、ラザロもいたとありますから、そこはラザロの家と見られます。
過越祭は、ユダヤの正月の14日に行われます。この年の正月の14日は木曜日だったそうですから、「六日前」は9日で土曜日にあたります。過越祭の直前の安息日の食事をしていたのでしょう。安息日の食事は、友人や親戚と一緒に大勢で食べるものでした。
皆が夕食をとっていたその時です。マリアがナルドの香油をイエスさまの足に塗り、自分の髪でイエスさまの足をぬぐったのです。たちまち《家は香油の香りでいっぱいに》
(3)なりました。この当時のユダヤの食事の仕方は、食物を床に並べ、人々は横になって、左肘をついて身体を支え、右手で食物を口に運ぶという仕方でした。ですから、横になったイエスさまの足に、マリアはナルドの香油を塗って自分の髪でぬぐったのです。この香油は北インドで作られる非常に高価なものでした。1リトラは約300グラムです。約300グラムのナルドの香油は、300デナリオンの価値があったようです。300デナリオンというのは、1デナリオンが労働者の一日の賃金ですから、約一年分の収入と考えて良いでしょう。ですから、今のお金に直せば何百万円という価値になります。マリアの全財産と言って良いものだったと思います。
皆さんは、このマリアの行為をどう見るでしょうか。《弟子の一人で、後にイエスを裏切るイスカリオテのユダが言った。「なぜ、この香油を三百デナリオンで売って、貧しい人々に施さなかったのか」》
(4-5)とあります。何百万円もする香油をなんでイエスさまの足に塗ったりするのか。もったいない。もっともユダは、《貧しい人々のことを心にかけていたからではない。・・・金入れを預かっていながら、その中身をごまかしていたからである》
(6)、と記されています。しかし動機はどうであれ、ユダの言うことは正論です。イエスさまもここで、ユダが非難したのは間違いだと言っているのではありません。また、いつでもマリアのように自分に最高の物をささげよと要求しているのでもありません。
《貧しい人々はいつもあなたがたと一緒にいるが、わたしはいつも一緒にいるわけではない》
(8)とあるように、イエスさまは、貧しい人々はいつもあなたがたと一緒にいるのだから、いつでも施しなさい、と言っているのです。しかし、マリアを責めることもない。なぜなら、この人は《わたしの葬りの日のために、それを取って置いたのだから》
(7)と言いました。ここで大切なことは、マリアのしたことはイエスさまの葬りのためであったということです。イエスさまはあと一週間で十字架にかかります。イエスさまはそのことを弟子たちに言って来ましたけれど、この時、本気でそのことを受け取っている者は誰もいませんでした。イエスさまはそのことを見抜いています。この時マリアは、イエスさまと共に、イエスさまの十字架の死を見ていました。だから、このような突拍子もないことをしたのです。この時マリアだけが、イエスさまの十字架の死を受け止めていました。そして、自分にできる精一杯のことをしたのです。
イエスさまは私のために十字架にかかり、命まで捨てる。そのイエスさまのために何ができるのか。マリアの出した結論は、自分の持っているすべてと言って良いナルドの香油をイエスさまに献げることだったのです。マリアはこのことを姉マルタにも相談せずに、自分で決めました。これが信仰の決断というものです。
ここでマリアがしたことは献身なのです。マリアにとって、イエスさまの十字架を思った時に、これに応えるために自分ができること、しなければならないこと、それが献身でした。マリアは、その献身のしるしとして、自分の全財産と言っても良い高価なナルドの香油を捧げたのです。
お金の使い方という所から見れば、マリアのこの行為に対していろいろな批判ができるでしょう。しかしイエスさまは、これをお金に換算などしていません。そうではなくて、マリアの献身のしるしとして受け取られたのです。マタイ26章6節以下にある同じ記事において、イエスさまはこのマリアの行為に対して、《わたしに良いことをしてくれたのだ》
と言われました。この「良いこと」というのは、「美しいこと」とも訳せる言葉です。マリアがしたことは良いことであり、美しい。なぜか。それはこの業が献身だからです。献身ほど人間が行う業で美しいものはありません。献身こそ、イエスさまの十字架の美しさに対応しているからです。献身の美しさは愚かさと分けられません。これは、マリアが自分の髪でイエスさまの足をぬぐったという行為に現れています。ユダヤの女性は人前で髪を解きません。それは恥ずべきことだったのです。
神は、このマリアの行為を良きものとして受け取られました。そして、マリアが思っていた以上の意味を与えてくださいました。それは、これをイエス・キリストのまことの王としての即位式としてくださったということです。救い主、メシア、キリストという言葉は、元々「油注がれた者」という意味です。旧約において、神が祭司、王、預言者として選んだ者には油を注いだのです。もちろん、イエスさまは神によって聖霊の油を注がれたまことの王、まことの祭司、まことの預言者でした。しかし、実際に油を注がれたのは、この時でした。イエスさまはこの後、エルサレムにまことの王として入城されます。戦いのための馬ではなく、ろばの子に乗って入城されます。人々は、《ホサナ。主の名によって来られる方に、祝福があるように、イスラエルの王に》
(13)と言って迎えます。イエスさまは、預言者たちが預言していたまことの王としてエルサレムに入城され、そして十字架にかけられるのです。このマリアによる油注ぎを、イエスさまがまことの王として油注がれる時として、神が用いてくださったのです。
マリアがこのナルドの香油をイエスさまに注いだ時、《家は香油の香りでいっぱいになった》
(3)とあります。この香りを神は良しとされたのです。私たちもまた、キリストの十字架の献身に自らの献身をもって応え、この教会を、この町を、この世界を、キリストの香りで満たしていきたい。そう心から願うものです。
祈りましょう。天の父なる神さま。御子イエスさまはベタニアで塗油を受けることを通して、苦難を受ける世の救い主であることを示されました。私たちも貧しい人生を御子に献げます。これを私たちのナルドの香油として受け入れてください。救いイエス・キリストのみ名によって祈ります。アーメン
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