Sola Gratia

待降節第2主日 説教

洗礼者ヨハネの活動

1皇帝ティベリウスの治世の第十五年、ポンティオ・ピラトがユダヤの総督、ヘロデがガリラヤの領主、その兄弟フィリポがイトラヤとトラコン地方の領主、リサニアがアビレネの領主、 2アンナスとカイアファとが大祭司であったとき、神の言葉が荒れ野でザカリアの子ヨハネに降った。 3そこで、ヨハネはヨルダン川沿いの地方一帯に行って、罪の赦しを得させるために悔い改めの洗礼を宣べ伝えた。 4これは、預言者イザヤの書に書いてあるとおりである。

「荒れ野で叫ぶ者の声がする。/『主の道を整え、/その道筋をまっすぐにせよ。/5谷はすべて埋められ、/山と丘はみな低くされる。/曲がった道はまっすぐに、/でこぼこの道は平らになり、/6人は皆、神の救いを仰ぎ見る。』」

きょうの聖書、ルカ福音書3章の前半は、洗礼者ヨハネの物語です。イエスさまの本格的な登場を前にして、洗礼者ヨハネについて語られています。きょうの箇所には、イエスさま自身の言葉はありません。

2節後半に《神の言葉が荒れ野でザカリアの子ヨハネに降った》とあります。洗礼者ヨハネに神の言葉が降ったのです。このことは、洗礼者ヨハネの活動が彼自身の意志によるものではなく、神の計画によるものであることを告げています。その神に導かれてヨハネは活動します。ヨハネの言葉そのものは、きょうの箇所に続く7節以下で語られています。きょうの箇所でルカは、いつどこで「神の言葉が出来事となった(直訳)」のかを語っているのです。

それは、《皇帝ティベリウスの治世の第十五年》のことでした。ティベリウスは、ローマ帝国の初代皇帝アウグストゥスのあとを継いだ、二代目の皇帝でした。彼の治世の第15年とは、紀元後28年か29年です。ルカだけがこの年代を記しているのですが、ヨハネとイエスさまの活動開始の年ですから重要です。このとき、《イエスが宣教を始められたときおよそ三十歳であった》(23)と記されています。

次に、《ポンティオ・ピラトがユダヤの総督》であったと述べられています。毎週礼拝で唱える使徒信条の中にも、その名が残されています。イエスさまを十字架にかけると決定を下した責任者です。

クリスマス物語の冒頭に、《ユダヤの王ヘロデの時代》(1章5)と書かれていました。このユダヤの王は、ヘロデ大王です。彼が前4年に死んだとき、三人の息子に領土を分割して統治を委ねました。ユダヤ地方は、息子のアルケラオ(マタイ2章22)の領土となったのですが、彼が政治的に失敗したためにローマ皇帝は彼を追放し、この地方をローマ帝国の直轄として、ローマから総督を派遣しました。ポンティオ・ピラトはその5代目の総督です。

そして、《ヘロデがガリラヤの領主》となりました。このヘロデとは、ヘロデ大王の息子のヘロデ・アンティパスのことです。このへロデは、ヨハネとイエスさまと深い関わりをもちます。そして、《その兄弟フィリポがイトラヤとトラコン地方の領主》となりました。フィリポの領地は、ガリラヤ湖の北東に広がる地域です。ここまではヘロデ大王が分割した領土のことです。さらに、《リサニアがアビレネの領主》とありますが、アビレネはフィリポの領地のさらに北で、福音書の出来事とは関わりがありません。

最後に、《アンナスとカイアファとが大祭司であった》とあります。大祭司は本来一人であるはずで、実際の大祭司はカイアファでした。しかし、ローマ権力によって大祭司の職を辞めさせられたアンナスも依然として力を持ち続けていたのです。この二人は、イエスさまの裁判に関わります。

このように、ルカはていねいにヨハネが登場した時代の支配者が誰であったかについて述べていますが、この時代の社会情勢、政治情勢が30年前のヨハネとイエスさまの誕生の時代とは大きく異なっていることを示しています。ヘロデ大王がユダヤ人の王であったときに、ガリラヤからユダヤまで旅をして住民登録ができたのは、一つの国だったからです。しかし今や一つだった国は分割され、ユダヤ地方はローマ帝国の直轄地になっていました。

そのような時代に、《神の言葉が荒れ野で》ヨハネに降りました。ヨハネについては、《幼子は身も心も健やかに育ち、イスラエルの人々の前に現れるまで荒れ野にいた》(1章80)と記されていました。ヨハネが「荒れ野」で何をしていたのか、聖書には記されていません。しかし、学者たちは、この「荒れ野」は、死海の西北岸の山地クムランのエッセネ派の修道院を指すのではないかと推測しています。これは現在では定説になっています。ヨハネはクムラン共同体の一員であったか、少なくともエッセネ派と深いつながりがあったようです。そして、ヨハネがエッセネ派の中にいたときか、あるいは離れた後に、《神の言葉が降った》ので、ヨハネは独りになって、《ヨルダン川沿いの地方一帯に行って、罪の赦しを得させるために悔い改めの洗礼を宣べ伝え》(3)始めたわけです。

神の言葉がヨハネに降ったことは、預言者イザヤの預言の成就であるとして、ここにイザヤ書40章3~5節の言葉が引用されています。イザヤ書は、ルカ福音書の六百年前に書かれたと言われています。

《荒れ野で叫ぶ者の声がする。『主の道を整え、その道筋をまっすぐにせよ。谷はすべて埋められ、山と丘はみな低くされる。曲がった道はまっすぐに、でこぼこの道は平らになり、人は皆、神の救いを仰ぎ見る』》(4~6)。

このイザヤ書の預言は、捕囚によって外国に連れ去られていた者たちが、その罪を赦されてエルサレムへ帰ってくることを告げています。外国からエルサレムへ帰還する者たちが歩む道、すなわち「主の道」を整えよと告げているのです。彼らは主の道を歩んで捕らわれの地からエルサレムへと帰還するのです。この預言が、神の言葉がヨハネに降ったことにおいて、本当の意味で成就したのです。それゆえ、荒れ野は平らにされるのです。そしてそこは神のところへ帰還する救いの道となるのです。生きることに積極的な意味を見いだせない荒れ野を、生き続けることに絶望してしまう荒れ野を、神は救いへ至る道へと、希望に至る道へと変えてくださるのです。嘆きや呻きの叫びが響き渡っている荒れ野のような世界で、神さまの救いの御業が今まさに始まったのです。

ここで「荒れ野」とは地理的な場所を示しているだけではありません。荒れ野では、人はそこでは頼るべきものが何もなく、深い孤独を味わい絶望するしかありません。クリスマス物語から30年後のより混沌とした時代にあって、世界は「荒れ野」であったと言えます。私たち一人ひとりが抱えている「荒れ野」も平らにされる必要があります。そのためにヨハネは《悔い改めの洗礼》を宣べ伝えました。悔い改めとは、神のもとへ戻ることです。私たちは悔い改めによって、御言葉を拒み、神に背いていた頑なな心を柔らかくされるのです。私たち一人ひとりが抱えている荒れ野が平らにされるのです。そのことによって神は私たちの内に救いと希望へ至る「主の道」を整えてくださいます。捕囚の民が「主の道」を歩んでエルサレムへ帰還したように、私たちも自らの内にある「荒れ野」の中に整えられた「主の道」を歩んで、神のもとへ帰還するのです。そして私たちの頑なな心が柔らかくされることによって私たちは御言葉に聞く者とされます。そのことによって、私たちはイエスさまを受け入れ、迎え入れる備えをすることができるのです。

その「悔い改め」は「罪の赦し」に結びつきます。神の言葉を聞くことで罪の赦しをいただくのです。しかし私たちは自分自身の力で自分の内にある荒れ野を平らにすることはできません。私たちはただ悔い改めて、神のもとへ戻るしかないのです。しかし、悔い改めもまた神の恵みによって与えられるのです。そのような私たちは神にすがるしかありません。私たちは、神のもとへ戻ることができるよう、悔い改めをお与えください、と祈るしかないのです。悔い改めと罪の赦しがばらばらのことではなく一つのことであるように、私たちの頑なな心が柔らかくされ、内なる荒れ野が平らにされることとイエスさまを受け入れ迎え入れることは一つのことなのです。

悔い改めと罪の赦しによって与えられる神の救いは、ユダヤ人に限られたものではありません。《人は皆、神の救いを仰ぎ見る》のです。ユダヤ人にとって神の救いを見るとは、律法を守ることでした。しかし、神に背き神から離れていた私たちは、神のもとへ戻ることによって神の救いを見るのです。苦しみと悲しみがなお支配しているかのように見えるこの世界で、私たちは確かに神の救いを見ています。私たちはこの神が備えてくださった救いの道を歩んでいきます。救い主が来られる道は、もうまっすぐになっているのです。

祈りましょう。天の父なる神さま。御子をこの世に送り、私たちのために救いと希望に至る道を切り開いてくださったことに感謝します。迷いなくその道を歩めますよう、洗礼と聖餐と御言葉によって私たちを導びいてください。救い主、イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。