Sola Gratia

聖霊降臨後第6主日 説教

郷里の人々の不信仰

1イエスはそこを去って故郷にお帰りになったが、弟子たちも従った。 2安息日になったので、イエスは会堂で教え始められた。多くの人々はそれを聞いて、驚いて言った。「この人は、このようなことをどこから得たのだろう。この人が授かった知恵と、その手で行われるこのような奇跡はいったい何か。 3この人は、大工ではないか。マリアの息子で、ヤコブ、ヨセ、ユダ、シモンの兄弟ではないか。姉妹たちは、ここで我々と一緒に住んでいるではないか。」このように、人々はイエスにつまずいた。 4イエスは、「預言者が敬われないのは、自分の故郷、親戚や家族の間だけである」と言われた。 5そこでは、ごくわずかの病人に手を置いていやされただけで、そのほかは何も奇跡を行うことがおできにならなかった。 6aそして、人々の不信仰に驚かれた。

イエスさまが故郷のナザレの会堂で教えたとき、故郷の人々はとても驚きました。人々は、イエスさまの教えの素晴らしさに驚き、敬服しました。しかし同時に、自分たちと同じ仲間にすぎない者が、イスラエルの聖なる歴史と伝統を自分一人で完成するかのように語ることに対して激しいショックを受けました。そのショックは、やがてイエスさまに対する殺意にまで変わっていくほどのものでした(ルカ4章16~30参照)。イエスさまは《人々の不信仰に驚かれた》、と記されていす。

故郷の人々は、どうしてそういう不信仰に陥ってしまったのでしょうか。イエスさまの教えに驚いて、《この人は、このようなことをどこから得たのだろう》と問うたのは当然のことでした。この驚き、感歎の中で、多くの人々は神の救いのみ業を見、信仰の端緒を得たのです。しかし、ナザレの人々の中では、そういうことが起こりませんでした。彼らは、《この人は、大工ではないか。マリアの息子で・・・》と、イエスさまの職業や家族、この地域での生活など、自分たちがよく知っている、その範囲内でだけ、イエスさまを理解し、処理しようとしたからです。その結果、彼らはイエスさまの教えを素直に聞き、受け入れ、信じることがでませんでした。ナザレの人々は、イエスさまの人間としての様子については、弟子たちが知らないようなことまでよく知っていたことでしょう。けれども、彼らは、イエスさまの働きに、自分たちの理解を超えた、神の力、神の働きを見ることができなかったのです。イエスさまについての知識をどんなに積み重ねても、イエスさまの内に、人の理解を超えた神の救いの力が働いていることを信じて、イエスさまにその救いを求めていく姿勢がなければ、イエスさまを本当に知ることはできず、結局つまずく、すなわち信仰が挫折するしかないのです。人としてのイエスさまと神の子としてのイエスさまの霊性との間の溝に落ちてしまうのです。

イエスさまは故郷であるナザレにおいて、このようなつまずき、不信仰に直面しました。そして、その不信仰のゆえに、《そこでは、ごくわずかの病人に手を置いていやされただけで、そのほかは何も奇跡を行うことがおできにならなかった》とあります。これは、イエスさまの力にも限界があって、人々が信じていなければ奇跡が行えないということではありません。イエスさまの奇跡を見聞きする人間の側に、イエスさまの内に神の恵みの働きを認め、救いを願い求める思いがあってこそ、奇跡はその意味を持つということです。

福音書は《神の子イエス・キリストの福音》(マルコ1章1)を証しする書物であって、イエスさまの容貌、職業、家族、経歴など人間的側面については、あまり関心を示していません。しかし、きょうの箇所に伝えられている故郷の人々の言葉から、イエスさまの職業や家族のことを幾分かは推測することができます。

イエスさまが育ち生活したナザレは、ガリラヤ山地の村です。イエスさまの家族の中に父ヨセフの名がないことから、すでに亡くなっていたと考えられます。イエスさまは若い時から父ヨセフの職業を継いで(マタイ13章55)、大工として一家の生計を支えてきたのでしょう。イエスさまが宣教に立ったのは30歳の頃(ルカ3章23)ですから、イエスさまは十数年にわたってナザレで、村の住居や生活用具を作る大工として忙しく働いたわけです。

イエスさまは弟子や民衆から「ラビ」と呼ばれることがありました。しかし、それは専門の学者にまさる知恵に対する敬意から出た言葉であって、律法の専門教育を受けたことはなく、正式のユダヤ教の律法教師「ラビ」ではありません。故郷の人たちが、《律法学者のようにではなく、権威ある者として》(マルコ1章22)聖書を説くイエスさまに驚いて、このような権威と知恵を《この人は、どこから得たのだろう》と不審に思ったのは、イエスさまが「ラビ」としての正式の律法教育を受けていないことをよく知っていたからです。彼らはそれがイエスさまの中に働く聖霊から来るものであることを理解することができなかったのです。

故郷の人々はここでイエスさまを《マリアの息子》と呼んでいます。当時のユダヤ人社会では、「誰々の息子」と、必ず父親の名で息子の家系を示しましたから、ここで母親の名で呼んでいることは異例です。ふつうは父親がすでに死んでいても父親の名で家系を示します。ですから、これは、母親だけの子、すなわち私生児に対する軽蔑をこめた呼び方であったと言われています。イエスさまの誕生にはなんらかの秘密があって、ふつうの夫婦からのふつうの誕生ではなかった。ナザレの人たちは、こういうことまでよく知っていたのです。

きょうの御言葉から、イエスさまは5人兄弟の長男で、何人かの姉妹がいたことが分かります。後に弟のヤコブは復活されたイエスさまと出会って、エルサレムの初代教団で重要な役割を果たすことになりますが、ほかの兄弟姉妹については消息は分かりません。イエスさまが地上で宣教活動をしていた時には、弟妹たちはイエスさまを理解することはできず、非協力的で、むしろイエスさまを連れ戻そうとしたりしています(3章21、31参照)。

このように、イエスさまの家族や生い立ちや職業をよく知っている故郷の人々は、イエスさまの人間としての面がよく見えるため、それに遮られて、イエスさまの中に来ている聖霊の働き、神の恵みの支配を信じることができません。かえって自分たちと同じ仲間のイエスさまがそのような主張をすることに驚き呆れ憤慨しました。彼らはイエスさまに「つまずいた」のです。実は、「つまずいた」のは彼ら故郷の人たちだけではありません。イスラエルの民は全体としてイエスさまにつまずいたのです。そして、人類は今もナザレの人イエスさまにおいて神がご自身を啓示しておられることにつまずいています。イエスさまは、まことに《つまずきの石、妨げの岩》(1ペトロ2章8)です。このような人間の「つまずき」を知っていたので、イエスさまは、ご自分の中に神の愛と恵みの働きかけが始まっていることの「しるし」を列挙したのち、《わたしにつまずかない人は幸いである》と言ったのです(マタイ11章2~6)。

故郷の人々の不信仰を見て、イエスさまは、《預言者が敬われないのは、自分の故郷、親戚や親族の間だけである》と言って、彼らの不信仰が人間的側面だけしか見えないことから来るものであることを指摘しています。

ここでイエスさまがご自分を《預言者》と位置づけていることが注目されます。民衆も弟子も、そして批判者であるファリサイ派の者も、イエスさまを「預言者」と見ていたことが福音書に数多く伝えられています。イエスさまご自分も、神から受けた使命がこの用語で十分表現されているわけではないけれども、その呼び方を拒むことなく、みずからも《預言者がエルサレム以外の所で死ぬことは、ありえないからである》(ルカ13章33)と言って、その生涯を預言者として貫かれたのでした。

最後に、きょうの御言葉が私たちに示唆することを確認しましょう。ナザレの出来事を、歴史的に見れば、ユダヤ人がイエスさまにつまずいたため異邦人に福音が伝えられることになる、これはその前触れだと言えるでしょう。しかし、ナザレの出来事の本質的な意味は、人間としてのイエスさまと神の御子としてのイエスさまの霊性との間に横たわる落差から来る「つまずき」にこそあったのです。ですから、ナザレの人たちも私たちも、イエスさまに対して全く同じ人間であるという視点から、この出来事を観ていかなければなりません。私たちの信仰は、「教会」につまずいたり、「キリスト教」につまずいたりしがちです。しかし、私たちは、イエスさまの霊性を通して示される父なる神の働きそれ自体に依存していることを覚えましょう。《わたしにつまずかない人は幸いである》。この御言葉は、イエスさまの周りにいた人々と全く同じように、今の私たちにも向けられているのです。

祈りましょう。天の父なる神さま。謙遜なみ姿の内にあなたの恵みの力を宿す御子イエスさまを私たちのところに遣わしてくださったことを感謝します。私たちが御子に寄り頼み聴き従いつつ、御子と共に歩めますようにお導きください。私たちの主イエス・キリストのみ名によって祈ります。アーメン。

(与えられた箇所は1節から13節までですが、この説教では後半の6b~13節は扱いません。)