Sola Gratia

聖霊降臨後第20主日 説教

皇帝への税金

15それから、ファリサイ派の人々は出て行って、どのようにしてイエスの言葉じりをとらえて、罠にかけようかと相談した。 16そして、その弟子たちをヘロデ派の人々と一緒にイエスのところに遣わして尋ねさせた。「先生、わたしたちは、あなたが真実な方で、真理に基づいて神の道を教え、だれをもはばからない方であることを知っています。人々を分け隔てなさらないからです。 17ところで、どうお思いでしょうか、お教えください。皇帝に税金を納めるのは、律法に適っているでしょうか、適っていないでしょうか。」 18イエスは彼らの悪意に気づいて言われた。「偽善者たち、なぜ、わたしを試そうとするのか。 19税金に納めるお金を見せなさい。」彼らがデナリオン銀貨を持って来ると、 20イエスは、「これは、だれの肖像と銘か」と言われた。 21彼らは、「皇帝のものです」と言った。すると、イエスは言われた。「では、皇帝のものは皇帝に、神のものは神に返しなさい。」 22彼らはこれを聞いて驚き、イエスをその場に残して立ち去った。

イエスさまは、これまで、祭司長や民の長老たち、それにファリサイ派の人々に対して、悔い改めを求める三つのたとえを話しました。しかし、彼らは悔い改めることはなく、かえってイエスさまに論争をしかけてきました。彼らは、《どのようにしてイエスの言葉じりをとらえて、罠にかけようかと相談した》といいます。そして、相談の結果、自分たちの《弟子たちをヘロデ派の人々と一緒にイエスのところに遣わ》すことにしました。

ファリサイ派は、律法を守って日常生活全体の聖化を目指す人々です。そうした活動によって、神が王として自分たちを治めてくださることを願い求めています。イスラエルの民が律法をきちんと守らない罪人なので、神は異邦人の支配によって罰を下していると考えていたのです。ファリサイ派は、ローマ帝国支配を認めず、神の支配を求めるという立場です。

ヘロデ派は、ヘロデ王朝の再興を願っていた人々です。ヘロデ王朝はヘロデ大王によって開始されました。イエスさまが誕生したころの人です。この人は初代ローマ皇帝アウグストゥスと親交があり、パレスチナ全域の王と認められました。ところがヘロデ大王の死後、その息子たちの内、長男アルケラオは統治政策の失敗により、ローマによって排除されました。そこでヘロデ派の人々は次男ヘロデ・アンティパスを支持し、ヘロデ家の再興を目指しました。この人はガリラヤ領主でした。第二代ローマ皇帝ティベリウスのために、ガリラヤ湖西岸にティベリアスという都市を建設したりして、ローマとの友好的な関係に努めました。ヘロデ派は親ローマの立場であり、ファリサイ派は反ローマの立場ですから、両者は対立していました。しかし、イエスさまを排除するという目的で一致し、協力関係を結んだのです。

そこで、ファリサイ派の人々やヘロデ派の人々がイエスさまのもとにやって来ました。彼らはイエスさまを《先生》と呼び、さらに、《あなたは真実な方》であると言います。それは、《真理に基づいて神の道を教え》ること、またその際、《だれをもはばからず、人を分け隔てなさらない》で教えることに現れていると言っています。これらは、もちろんお世辞です。けれども、それらが不思議と、イエスさまが真の教師であることの特徴を言い表しています。

彼らは、お世辞を言った上で、《ところで、・・・皇帝に税金を納めるのは、律法に適っているでしょうか》と尋ねます。ローマ皇帝に対する税金は、土地税、所得税、人頭税があったといわれます。これらの内、ここで問題になっているのは人頭税でした。もしイエスさまがファリサイ派の質問に対して、ローマに税金を納めることは神の御心に適っている、納めるべきだと言えば、ファリサイ派などが先導して、イスラエルに対するローマ支配を認めて、神に対する裏切りを勧めていると言って猛烈に批判するでしょう。逆に、ローマに税金を納めるべきではないと言えば、今度はヘロデ派などが先導してイエスさまをローマ帝国に対する反逆を企てている、反ローマの首謀者の疑いがあるということで訴えることができます。つまり、イエスさまがどちらに答えても、陥れることのできる質問でした。

イエスさまは、その質問に答えて肯定または否定をする前に、《彼らの悪意に気づき》、まずそのことを批判します。イエスさまは彼らを《偽善者たち》と呼びます。彼らは、神と民衆の前で律法を守って善人の顔をして見せますが、本当は自分たちの利益しか考えていないからです。もし本当に神のことを考えているのであれば、イエスさまの御言葉を聞いて悔い改め、イエスさまの内に神の憐れみを見出すはずです。けれども、彼らはそのような態度をとっていません。イエスさまは、彼らに自らの偽善を気づかせるために、《なぜ、わたしを試そうとするのか》、と言うのです。口先では、わたしを「先生」と呼んで敬って見せるけれども、本当は、わたしを試して、陥れようとしているではないかというわけです。

このように、イエスさまは彼らの本当の姿が分かった上で、人頭税として納めるお金を持ってくるようにと言います。そこで彼らは一デナリオン銀貨を持ってきます。それは古代ローマ帝国の通貨で、日雇い労働者の一日分の給料に相当しました。イエスさまはその銀貨を手にすると、《これは、だれの肖像と銘か》と尋ねます。当時の銀貨にはローマ皇帝の肖像と名前が浮き彫りになっていました。それはローマ皇帝が発行する銀貨であって、物の売り買いや物の値段を決めて保証しているのはローマ帝国であることを表しています。ローマ帝国の支配がこの貨幣の信用の土台なのです。

そこで彼らはその硬貨の肖像と銘は《皇帝のものです》と答えます。皇帝が貨幣によって支配しているということです。するとイエスさまは、《では、皇帝のものは皇帝に、神のものは神に返しなさい》、と言われました。

税を納めるとは、誰を正当な支配者として認めるか、ということと結びついています。ファリサイ派の人々は、イスラエルを王として治めるのは神であると信じていました。したがって、税金を皇帝に納めることは、ローマ皇帝がイスラエルの民の王であることを認めることになるので、納税反対でした。しかし、現実には彼らもローマ皇帝に税を納めざるをえません。そこで彼らは神殿で罪の赦しの儀式にあずかった上で一日でも早く神がローマ帝国による支配を退けてくださるように願って、熱心に律法遵守に励んでいるのです。そうすると、結局、税を納めるか否かが、神を裏切る、または信頼することになってしまいます。つまり、人間の行いが神の支配を認めるか認めないかを決めることになってしまうのです。

しかし、イエスさまがこれまで明らかにしたのは、神の支配はそうした人間の行いによってもたらされるものではないということです。イエスさまが神の支配をもたらすのです。イエスさまと共に、またイエスさまにおいて神の支配がこの世に来たという点に、前代未聞の新しさがあるのです(マタイ12章28)。したがって、人間が良い行いによって神に結びついていくという道は無いのであって、神と人間は分離しています。ただ神ご自身だけが、この分離を乗り越えて、人のもとに来て、ご自分と共に生きるようにしてくださるのです。これがイエスさまのなさっていることです。

神はイエスさまにおいてこの世界と人間をすでに支配しています。その神の支配の中で、ローマ皇帝が支配しているわけです。それは神の許しと制御の下で存在しているにすぎません。したがってまた、神のみが御心のままに取り去ってくださいます。こうした神の支配に信頼するからこそ、《皇帝のものは皇帝に》返すのです。現在、ローマ皇帝が支配しているのだから皇帝が自分のものだと思うこの世の富はもっていくがよいということです。しかしそのことによって、《神のもの》は奪われることはありません。「神のもの」とは、この世界とその中にあるすべての人間のことです(詩編24編1)。イエスさまはそのことを明らかにするために、十字架にかかるのです。つまり、神のものを神のものとするために十字架にかかるのです(一コリ3章22~23)。したがって、《神のものを神に返しなさい》とは、私たちもイエスさまの十字架の働きにあずかって、神からいただいたものを神にお返しするということになります。イエスさまは、《あなたがたはそれぞれ、賜物を授かっているのですから、神のさまざまな恵みの善い管理者として、その賜物を生かして互いに仕えなさい》という新しい見方と新しい生き方を造り出していきます(一ペトロ4章10)。すなわち、私たちは自分の人生をイエスさまにおいて神からいただいたものですから、この賜物をイエスさまにお返しするというわけです。

ファリサイ派とヘロデ派は、こうした答えを《聞いて驚き、イエスさまをその場に残して立ち去った》とのことです。イエスさまを立ち去らせようという彼らの意図は失敗に終わりました。

祈りましょう。天の父なる神さま。イエスさまによって私たちを神のものとして回復してくださったことを感謝いたします。いただいた恵みの賜物を生かし用いる生活によって、あなたの恵みに報いることができますよう、私たちをお導きください。私たちの主イエス・キリストによって祈ります。アーメン。