四旬節第4主日 説教
信仰の光
- 2014年3月30日(日)
- 四旬節第4主日
- ヨハネ9章13~25
人々は、前に盲人であった人をファリサイ派の人々のところへ連れて行った。イエスが土をこねてその目を開けられたのは、安息日のことであった。そこで、ファリサイ派の人々も、どうして見えるようになったのかと尋ねた。彼は言った。「あの方が、わたしの目にこねた土を塗りました。そして、わたしが洗うと、見えるようになったのです。」ファリサイ派の人々の中には、「その人は、安息日を守らないから、神のもとから来た者ではない」と言う者もいれば、「どうして罪のある人間が、こんなしるしを行うことができるだろうか」と言う者もいた。こうして、彼らの間で意見が分かれた。そこで、人々は盲人であった人に再び言った。「目を開けてくれたということだが、いったい、お前はあの人をどう思うのか。」彼は「あの方は預言者です」と言った。
それでも、ユダヤ人たちはこの人について、盲人であったのに目が見えるようになったということを信じなかった。ついに、目が見えるようになった人の両親を呼び出して、尋ねた。「この者はあなたたちの息子で、生まれつき目が見えなかったと言うのか。それが、どうして今は目が見えるのか。」両親は答えて言った。「これがわたしどもの息子で、生まれつき目が見えなかったことは知っています。しかし、どうして今、目が見えるようになったかは、分かりません。だれが目を開けてくれたのかも、わたしどもは分かりません。本人にお聞きください。もう大人ですから、自分のことは自分で話すでしょう。」両親がこう言ったのは、ユダヤ人たちを恐れていたからである。ユダヤ人たちは既に、イエスをメシアであると公に言い表す者がいれば、会堂から追放すると決めていたのである。両親が、「もう大人ですから、本人にお聞きください」と言ったのは、そのためである。
さて、ユダヤ人たちは、盲人であった人をもう一度呼び出して言った。「神の前で正直に答えなさい。わたしたちは、あの者が罪ある人間だと知っているのだ。」彼は答えた。「あの方が罪人かどうか、わたしには分かりません。ただ一つ知っているのは、目の見えなかったわたしが、今は見えるということです。」
「生まれつき目の見えない人の癒し」の話は9章全体にわたる長い話のため、きょうの朗読はその一部に短縮されています。きょうの話の流れをつかむために、1~12節までの話をふり返っておきましょう。
道端で生まれつき目の見えない人が物乞いをしていたところへイエスさま一行が通りかかります。弟子たちが見かけて、この人が生まれつきの視覚障がいなのは、本人の罪か、親の罪かとイエスさまに尋ねます。病気や災難に遭った時、何が原因でこの結果なのかと合理的に因果を考えるのは、ユダヤ教に限らず人間に共通のあり方です。病気になったのは不摂生のためとか、罪を犯した罰だとかというような捉え方をします。でも、そういう因果関係では説明できない不条理なこともあるのです。イエスさまは弟子たちの問いが前提としている因果応報という考え方自体を否定して、この人が障がいを持つのは、わたしたちをとおして、神の恵みのみ業が顕われるためだと答えます。このような捉え方を身に着けることは、大事なことだと思います。
イエスさまは、つばで泥を練って、生まれながらの盲人の目に塗り、シロアムの池で洗いなさいと言います。言われたとおりにすると、その人の目が開かれて、見えるようになります。この段階では、盲人の信仰にはなにも触れていません。まずイエスさまの方からこの男に目を留められたのです。よく知られた聖句に《父は悪人にも善人にも太陽を昇らせ、正しい者にも正しくない者にも雨を降らせてくださる》(マタイ5章45)、また《神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された》(ヨハネ3章16)とあるように、イエスさまの愛はご自分を信じる者に限定されるものではなく、「世を」つまりイエスさまを信じない人々に及ぶ無償の愛、真実の愛です。盲人はこの愛の癒しをいただいて、喜びにあふれてイエスさまを世の救い主と確信するにいたるのです。
きょうの朗読個所はその続きで、癒された人がファリサイ派の人々のところに連れて行かれて尋問をうける場面に移ります。
ここは時代の異なる二つのことがシームレスに繋がって書いているややこしい個所です。一方でイエスさまが生前に安息日に盲人を癒して、安息日律法を破ったと批判されること、他方でヨハネ福音書が書かれた当時、《ユダヤ人たちは既に、イエスをメシアであると公に言い表す者がいれば、会堂から追放すると決めていた》とあるように、ユダヤ人キリスト教徒がユダヤ教の会堂から破門されて、ユダヤ人社会から追放されようとしていること、この二つの層が重ねて描かれているのです。ヨハネ福音書は、キリスト教がユダヤ教から分離独立して、独自の宗教としてまさに成立しようとしている時代に書かれたのです。 いったん、きょうの聖書本文から離れて、この場面の歴史的背景をお話ししたいと思います。イエスさまの在世当時と、ヨハネ福音書が書かれた時(90年代)とは60年ほどの開きがあります。この間に、ユダヤ教は決定的に変化しました。ユダヤ戦争(66~70年)によってユダヤ教祭儀の中心であったエルサレム神殿が完全に破壊され、祭司たちの群れであったサドカイ派が消滅したのです。この戦争のユダヤ人捕虜の収容所があったヤムニア(南西部の町、今のヤブネ Yavne)に、ファリサイ派主導でローマ公認の最高法院(サンヘドリン)の後継指導部ができて、神殿祭儀なしの、会堂(シナゴーグ)での礼拝を中心とするユダヤ教を再建します。この変化にともなって、以前は多様な考え方を許容できていたユダヤ教はその余裕を失い、ファリサイ派の教えのみを正統とする狭量な宗教となりました。イエスさまをメシアと信じる者は会堂から破門されるようになったのです。それは85年ころのこと、と学者たちは考えています。 それ以前は、イエスさまの直弟子たちはユダヤ教の中のナザレ派またはイエス派という存在でした。ペトロが投獄されたり、ヤコブが処刑されたり、パウロが殺されそうになったりしましたが、それでも、それはユダヤ教の内部で正統的信仰に矯正しようとする性格のものであって、ユダヤ人社会からの追放ではありませんでした。しかし、ユダヤ戦争後の事態は異なります。イエスさまをメシアと信じるのは異端とされて、ユダヤ教徒とは認められず、会堂から破門され、ユダヤ人社会には住めないことになったのです。そうなったら生きて行けないから、隠れキリスト教徒としてユダヤ教の中にとどまる者が生じることになりました。それは許さんというのが、会堂の長老協議会(ゲルーシア)による、隠れキリスト教徒のあぶり出しです。この時代の長老協議会を牛耳って、キリスト教徒を迫害する人々をヨハネ福音書は「ファリサイ派の人々」、時には「ユダヤ人たち」とも呼びます。これは特殊な用法で、決してユダヤ人一般をさす言葉ではありません。
さて、きょうの朗読個所に戻りますが、ここを理解するために、旧約の日課が助けになると思います。《わたしの僕ほど目の見えない者があろうか。わたしが遣わす者ほど耳の聞こえない者があろうか。わたしが信任を与えた者ほど目の見えない者、主の僕ほど目の見えない者があろうか。多くのことが目に映っても何も見えず、耳が開いているのに、何も聞こえない》(イザヤ42章19~20)。つまり、聖書は、「目が見えない、耳が聞こえない」ということで、体の視力や聴力を言っているのではなくて、神の御業が見えるか、神の語りかけが聴こえるかと、人の生き方を問題としているのです。きょうの福音も、ただ肉眼が見えるか否かということを言うだけでなく、イエスさまを救い主と見る目を持つかどうかがテーマになっています。
生まれながらの盲人は、イエスさまにシロアムの池で洗えと命じられてその通りにすると、目が見えるようになりました。これをヨハネの時代のことと読み替えると、生まれながらの罪人がシロアム(遣わされた者、イエスさまのいる教会)に行って洗うと(洗礼を受けると)、聖霊を受けて目が開かれ、イエスさまが神から遣わされた救い主であることをはっきりと信じるにいたった、となります。その人は会堂の異端審問の場に引き出されて、《目を開けてくれたということだが、いったい、お前はあの人をどう思うのか》と尋問されます。イエスはメシアなどではなく、罪人だと言えと命じているのです。一種の踏み絵で、厳しい探索の様子がうかがえます。《議員の中にもイエスを信じる者は多かった。ただ、会堂から追放されるのを恐れ、ファリサイ派の人々をはばかって公に言い表さなかった》(ヨハネ12章42)とあるように、隠れおおせた人たちもいたでしょう。しかし、この人は、「目が見えなかったわたしが、イエスさまによって今は見える」と答えます。結果として、彼は会堂から追放されます(34節)。
ヨハネ福音書は、この世を闇、イエスさまを闇を照らす光として描きます。目が開かれるというのは、この神の許から来られた光であるイエスさまを見いだすことを意味しています。イエスさまを自分の救い主としてあがめるようになるということです。実際に肉体の目が見えていたとしても、イエスさまとの出会いが与えられるまで、人は皆、生まれつき目が見えない者なのです。目が開かれることによって、信仰が与えられ、世の光としてのイエスさまを見いだすのです。わたしたちもまた、肉眼では見なくても、イエスさまを神の子、救い主と信じて、イエスさまの名によって命を受けることができますように。